美しい琵琶湖で心洗う散策。
なぎさ公園の特徴
琵琶湖の絶景を望む、昼夜問わず楽しめる公園です。
散歩やジョギングに最適な、広々とした湖岸の散策路があります。
芝桜が美しく咲いており、子どもたちが遊ぶのにぴったりな場所です。
滋賀県民、旅行者、全ての方々の憩いの場。特に県民自慢の大海の辺。手入れも完璧。8月8日の花火大会の準備中。
2025.5.26大津港から始まる湖岸の公園です。他府県から来た観光客には羨ましい公園です。何処まで続くのか、膳所駅の近く迄散歩して見ます。歩く人、ジョギングする人、釣りをする人、シート敷いて遊ぶ人、それぞれが好きな様に時間を過ごしています。21代大津市長の像も有れば明智光秀の弟がここから渡ったという場所、ガス灯等の継がれる歴史も有れば、廃館となる琵琶湖文化館や閉まったレストランも見えました。文化館の前の道路にマップが有ります。あれっ、西武百貨店が残っている。余りにも懐しいので訪ねたが、大きなマンションに変わっていた。茶が崎から始まった散策で、「紅葉パラダイス」「イオン大津京」「西武大津」時代を先取りした昭和の建物は全てマンションに変わり、静かな公園前の幹線道路は時代の流れを感じましたよ。
美しい湖ですが、観光客が少なく、落ち着いた雰囲気です。釣りや散歩を楽しむ人がちらほら見られました。約 400万年の歴史を持つ日本最古の湖 であり、世界でも20ほどしか存在しない古代湖 のひとつ。2000種以上の生き物が暮らしており、ここにしかいない固有種もいるそうです。自然の豊かさと静けさを感じられる、特別な場所でした。250309訪問。
この公園と付近を散歩をしました。人は結構いましたが静かで穏やかな気分で過ごせました。幅広い年齢層の方がいました。親子やペットと散歩している人、カップルなどの様々な人がいました。釣りやランニングをしている人も見かけました。公園全体が明るい雰囲気で子供や若者も多くて活気がある場所だなと思いました。ゴミなども落ちていなくて清潔な公園でした。琵琶湖の景色や大津の街の景色など絶景でした。天気も相まってとても美しくて素晴らしかったです。写真を何枚も撮ってしまうような景色が沢山ありました。ミシガンクルーズは大きくて洗練されたデザインで凄く良かったです。琵琶湖花噴水のイベントをやっていて偶々見れて運がいいなと感じました。琵琶湖花噴水は幻想的でした。この公園は広場や道が多くて整備されているので散歩やウォーキングにうってつけだと思います。とてもリラックスできて波音や自然に癒されました。落ち着いた時間を過ごしたい人やウォーキング、ランニングする人におすすめしたい公園です。
今回の宿泊利用したホテルの目の前の公園です。散歩するには、良いかなぁ〜❗いつも、琵琶湖近くに宿泊して居ますが、散歩は初めてかなぁ〜❗以外と気持ち良い感じです。たまたまかも知れませんが、人混みも無く、ゆっくり時間が過ぎるの感じれたぁ〜❗地元と違った空気、空間なんか良かったです。(^_^)y-° ° ° ° ° °
琵琶湖が見れる公園。釣り人多数ポケフタあり。
昼も夜も最高です。夜も安全に散歩ができる雰囲気です。ライトアップしてる船もカッコいい。
チェアリングロケーションとしては最高😃⤴️⤴️いろいろな船と琵琶湖の景色で心が洗われます😊
琵琶湖を眺めながらのんびりお散歩できる場所です。ちょうど良い季節に行ったので、気持ち良かったです!ジョギングしている人や犬のお散歩などが多く、静かで時がゆっくり流れるのを感じます。また行きたいです。
| 名前 |
なぎさ公園 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
077-527-1555 |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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なぎさ公園、とひと言に言っても浜大津から近江大橋を挟んで御殿浜、由美浜など石山の手前あたりまでびわ湖畔沿いに緑地帯が続いている。瀬田の唐橋あたりで瀬田川がメインとなるので、やはり起点を浜大津周辺とすれば終点のメインは御殿浜(なぎさ湖岸公園・御殿浜)あたりになるのだろうか。ここに、2枚の写真を掲載する。写真の撮影日時は①なぎさ公園(浜大津寄り、奥に写っているのはびわ湖ホテル)が2025.10.15(水)08:28 ②なぎさ湖岸公園(御殿浜)が2025.09.26(金)07:58。ざっくりと表現すれば、浜大津から旧東海道を西に進み、山(長等山など)を越えれば山科(京都市山科区)に至り、天智天皇山科御陵の手前からは三条通を更に西に進むと三条に至る。因みに、2025.10.15(水)は写真を撮ることが出来なかったが、この公園の先、京阪電鉄浜大津駅の向かい側に“大津城跡”がある。これは、膳所城に先駆けて築城されたが(恐らく安土桃山時代)、いわゆる都(京都、もっとわかりやすく言うと天皇の御在所~御所)を護るのに大津城は弱点があったらしく、徳川家康が関ヶ原の戦いを制して江戸幕府を開幕して間もなく膳所城が築城された。これは、“天下普請”といって各大名が総力を結集して築城されたといっても過言ではなく、膳所城の初代城主は徳川家康の直近(直々の家臣)戸田一西トダカズアキだった。また、NHK総合の『ブラタモリ』では、もう一つの東海道というテーマで大津から三条に至らず伏見経由で大坂に入る、というのをやっていたと記憶するが、これは、平安時代あたりは罪人を輸送するルートでもあった(この場合は伏見から淀経由で大坂には入らず京都に入る)。これは、罪人を“ケガレ”と見做(みな)して、京都に罪人を輸送するのに旧東海道のルート(大津~山科~三条~洛中~京都市内)を使わなかった、使うのを避けたということがあるらしい。平安時代から鎌倉時代へと切り替わるころ、平清盛の5男平重衡は父清盛に命じられ東大寺(現・奈良県奈良市、華厳宗)焼き討ちを行った。重衡の身柄は鎌倉に送られたが、焼き討ちのとき風が強く興福寺まで延焼し、興福寺僧徒が重衡の身柄を渡すよう幕府(鎌倉)に迫り重衡の身柄は再び奈良に送られたが、そのときのルートが伏見経由だったと伝わる。確かに伏見に“奈良街道”が現在もあるので、この説は本当だと思う。(ご興味のある方は平重衡、『平家物語』などをご参照ください。)…このように、京都と滋賀に偶々ご縁があり、散策したり祈って廻ることができることは非常に有り難いことだと思う。2025.10.17(金)文責・中村扶。合掌。