歴史を感じる板橋宿、飯田宇兵衛家跡。
板橋宿中宿脇本陣跡の特徴
江戸時代に名主を務めた飯田宇兵衛の屋敷跡です。
旧中山道沿いに位置する歴史的な史跡です。
板橋宿中宿の文化や歴史を感じられる場所です。
板橋宿 中宿 脇本陣跡江戸時代に名主を務めた飯田家(世襲名 宇兵衛)。本陣も飯田家で、養子縁組しながら協力して宿場管理してきたようです。1861年に和宮が降嫁のために 中山道経由で下向しました。その際、ここ名主家(宇兵衛家)が本陣となりました。(婚礼は1862年)その後、1868年の岩倉具定(岩倉具視の三男)軍の本営にもなりました。現在、板橋宿は仲宿商店街として 今も沢山の人々が行き交い たいへん賑わっています。日本橋から中山道を歩き始め初日。
旧中山道に散見される史跡の立て看板のうちのひとつ。行き止まりにある。こんなところにあるとは誰も思わないし、奥まった行き止まりだからここの住人でなければ来ることはない。Googleマップのレビューが他にひとつもないことからも、よほどマイナーな場所だろうと想像できる。看板は中宿名主飯田家の説明。理解するのに時間がかかったけれど、ライフの隣の立て看板のところが飯田新左衛門家の本陣(本陣家)で、ここは名主飯田家の脇本陣(名主家)ということのようです。どちらも飯田家なので頭こんがらがる・・・。
| 名前 |
板橋宿中宿脇本陣跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
板橋宿中宿の名主・問屋・脇本陣を務めた飯田宇兵衛家の屋敷跡。飯田家の総本家で、宝永元年(1704)に本陣を飯田新左衛門家へ譲った後も、江戸時代を通じて中宿の名主・問屋・脇本陣を担いました。世襲名は宇兵衛です。一番印象に残ったのは、皇女和宮が江戸入り前夜をここで過ごしたこと。文久元年(1861)11月14日午後5時頃に到着し、翌15日に江戸へ入りました。板橋区立郷土資料館によると、和宮一行は総勢3万人規模ともされ、板橋宿では宿泊準備のため建物修復や人足・食材の手配まで行われています。飯田家に残る史料には、和宮一行の食材や献立まで記録されています。この家は幕末だけで終わりません。明治初年には大宮氷川神社へ行幸する明治天皇が休憩し、明治11年(1878)には北豊島郡役所が家屋の約半分を借用。さらに明治21年(1888)から大正5年(1916)まで東京区裁判所下板橋出張所として使われました。脇本陣廃止後も公的施設として使われ続けた、板橋宿の近代史をそのまま背負った家です。さらに飯田家の南側には、元禄期頃の宿場絵図で将軍の鷹狩り用の御茶屋が描かれ、飯田家がその管理を担っていたとみられています。宿場の名主宅でありながら、将軍、大名、公家、幕府役人、明治政府まで接続する場所だったことが分かります。現在はマンションになり、屋敷や門、脇本陣らしい遺構は残っていません。ですが、和宮の江戸入り前夜、明治天皇の行幸、北豊島郡役所、裁判所出張所まで一本の場所でつながるので、旧中山道を歩くなら本陣跡と合わせてぜひ見ておきたい場所だと思います。