もののけ姫の雰囲気漂う藤切神社。
藤切神社の特徴
機能的に美しい立派な大杉が圧巻です。
天応元年に勧請された歴史ある神社です。
山道横の苔がついた岩が趣き深く心を癒します。
【2026.3.8 訪問】甲津畑のセツブンソウを見に行き、立ち寄りました。苔むす空間がなんとも幻想的で、とても良かったです。
永源寺の帰りに参拝しました。とても雰囲気の良い神社です。近くに駐車場も設置されていて助かりました。(2024.12.1)
巨木とふかふかの深い苔のある #藤切神社 さん。有名ではありませんが、まるでもののけ姫かトトロの森のように、ふっかふかの深い苔に覆われた巨木や大岩に囲まれた不思議な参道。野良?(笑)野生のイモリ、トカゲ、変な蜘蛛。カエルもたくさん、生き物の命に溢れています。森の不思議な空気をたくさん味わうことができます。深い山と山の間に、地元の方々に愛される神社があり、とても素敵でした。與喜天満神社さんにちょっと似てたかも?とも感じました。橋を渡る手前に、駐車場があります!!
とても綺麗で苔むしていて「もののけ姫」のこだまがいそうな神社でした。地元の人が親切で嬉しかった。皆さんが大事にしている神社だと伝わってきます。
素晴らしい神社です。清浄な場所で優しい感じがしました。地元の人に迷惑をかけないよう参拝させていただきたいと思います。
機能的に美しい(原文)Bonito pela função
立派な大杉がある。
妖精や精霊が沢山いるそうです。自然を愛する人には力のある神様が願いを叶えてくれるそうです。自然を愛し動物植物を愛する心の綺麗な大切な人の病気平癒を祈願して参りました。
流れる空気が違います。神聖な場所。目にはみえないけれど、守ってくれる存在を思いました。
| 名前 |
藤切神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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書により「藤切神社」をしらべてみます「杉谷善住坊のかくれ岩」という織田信長に関係のある地をしらべているときに、雰囲気のいい神社がありましたので調べてみることにしました。[宗像三女神のお話し]山深いこの地に「海の神」である宗像三女神が主祭神として祀られている理由は?って考えてしまいますよね。私の考えとなるのですが、【永源寺町の歴史探訪 】をよむと社記にあるのですが、この地は聖徳太子が四天王寺建立のために「黒葛(つづら)」を切り出した場所であるとあります。山から切り出した「黒葛(つづら)」を、川を利用して海へと運び、四天王寺へ届ける道中の「水陸の安全」を、道主貴(みちぬしのむち・宗像三女神)に当てはめた、と考えればすじはとおります。又、背後の山が「龍王山(藤截嶽)」と呼ばれていることからも、古くからこの地には水神・龍神信仰があり、そこに格の高い最高神天照大神の娘である宗像三女神が充てられた可能性があります。[末社 春日神社のお話し]この神社は「中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)」が勧請して、「興福寺」の荘園であったとあります。中臣家、及びその子孫である藤原家の氏神は「春日大社」であり、その祭神である「あめのこやねのみこと」はその「始祖(しそ)」にあたります。「興福寺」は藤原氏の「氏寺」という事もあり、此処にある末社は此の地の歴史の中でも極めて意味のある末社であると考えます。祀られている神も奈良の「春日大社」の「春日四神(かすがよじしん)」であり、「春日大社」から勧請されたものと私は考えます※室町時代に書かれた「興福寺官務牒疏(こうふくじかんむちょうそ)」に「大屋神」の別宮、つまり分社とありますので、大屋神社(滋賀県蒲生郡日野町杉228)による勧請という事となります。この地は中臣氏藤原氏との関係の深い地であることを、この末社が証明しているという事です。_____________❶【参考 永源寺町の歴史探訪 1 1989年】藤切神社 社記【祭神の話し】[祭神] [宗像三女神(むなかたさんじょしん)]道主貴(みちぬしのむち)」とも称され、海路の安全を守る神です。・田心姫神 (たごりひめのかみ・天照大神の長女)・湍津姫神 (たぎつひめのかみ・〃の次女)・市杵島姫神(いちきしまひめのかみ・〃の末女)【由緒の話し】天応元年(781年)、右大臣の中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)が神様をお招きしたのが始まりです。当時、「甲津畑村(こうづはた村)」は「栗太郎大石郷(くりたろうおおいしごう)」と呼ばれ、「佐久良谷(さくらだに)神社(大津市大石の佐久奈度神社)」の祭礼費用をまかなう土地として割り当てられていました。「藤切(ふじきり)」という地名は、用明天皇2年(588年)に聖徳太子が四天王寺を建立する際、この地で「黒葛(つづら・藤などの蔓)」を切り出したことに由来します。※黒葛(つづら)は四天王寺を建設する際、「資材の結束」や「足場の固定」に欠かせない現在のロープの役割を果たしていたと考えられます。また、下記にあるのですが、美術的な彫刻の材料となったようです。現在も「藤截(ふじきり)谷」や「藤截(ふじきり)川」という名が残っており、神社の隣の地名も「藤截(ふじきり)」といいます。つまり、地名がそのまま神社の名前になったのです。その後、この地で採れる黒葛(つづら)は朝廷に献上されるようになりました。平安時代の記録(延喜式など)にも、近江の国から納める「曝黒葛(さらしつづら)30斤」は、龍王山(かつての藤截嶽)から採れたものを、当村から献上したと記されています。一説には、聖徳太子が藤の蔓を切って神体をお彫りになったことから「藤截(ふじきり)大明神」と呼ぶようになったとも伝えられています。【歴史のあゆみ】・天永2年(1111年)当時この地は「興福寺」の荘園であったため、「 興福寺」が物部友主(もののべのともぬし)を管理職としてこの地に置きました。・永仁2年(1294年): 「興福寺」の「公文所職(くもんじょしき)」として速水三郎四郎泰氏(はやみ やすうじ)が役職に就いてこの地に来て以来、代々仕えるようになりました。・天慶・天永・康暦・応永・宝徳・明応・享和の各年代に、何度も社殿の建て替えや修理が行われました。・明治9年10月には、近代の社格制度において「村社」に指定されました。【祭礼について】市原野にある「白鳥大宮(白鳥神社)」の大きなお祭りの際は、藤切神社の神輿もそこへ向かい、非常に厳かな儀式が行われていました。【末社 春日神社のお話し】【祭神のお話し】【祭神】 春日四神(かすがよじしん)奈良の「春日大社」そのものの神です。健御賀豆智命(たけみかづちのみこと・軍神)伊波比主命(いわいぬしのみこと・刀剣の威力を神格化した神)天之子八根命(あめのこやねのみこと・中臣、藤原の氏神)比売神(ひめがみ)__________________室町時代初期の嘉吉元年(1441年)の神社の情報がありましたので参考に記しておきます。❶【参考 永源寺町の歴史探訪 1 1989年】興福寺官務牒疏(こうふくじかんむちょうそ)による【神社の場所と祭神のお話し】藤斬神社は、同じ場所(蒲生郡)の甲津畑(たづはた)にあります。お祀りしているのは以下の二柱の神様です。天田凝比咩神(あめのたごりひめのかみ)天市島比咩神(あめのいちしまひめのかみ)この神社は「大屋神(おおやがみ)」の別宮(分社)とされており、神職にあたる神人が2名置かれています。※大屋神とは・・現在の大屋神社 蒲生郡日野町杉【由緒と土地の歴史の話し】この神社については、光仁天皇の天応元年(781年)、近江国の大石にある「佐久良谷(さくらだに)社」の祭礼費用をまかなうための土地として、天皇の命令(勅宣)によりこの場所が割り当てられました。【中臣清麻呂による勧請の話し】右大臣の中臣清麻呂(なかとみのきよまろ)は、この藤斬神社のほか、以下の4カ所(計5カ所)の神社をこの地に勧請しました。1_同じ場所の山崎にある長寸(なきす)神現在[長寸神社] 蒲生郡日野町中之郷1565資料に「山崎にある長寸神」とある通り、江戸時代には「山崎宮」とも称されていました。延喜式神名帳にも載る「式内社」として高い格式を持ちます。2_蓮法寺のそばにあり、「香川(かがわ)社」と呼ばれている長寸下(なきすしも)神現在不明3_同じ場所の西側にある天神山の山頂に祀られた室木(むろき)神現在不明4_同じ場所の杉杣(すぎそま)にあり、「大宮」と呼ばれている大屋(おおや)神現在[大屋神社] 蒲生郡日野町杉228資料にある「杉杣大宮(すぎそま おおみや)」にあたります。五十猛命を祀り、この地域の総社的な存在です。【興福寺の管理の話し】鳥羽天皇の時代の天永2年(1111年)、この地を管理する探題の配下として、舎人の物部友主(もののべのともぬし)を現地に配置しました。