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明治時代 この山の持ち主の豊福さんが開墾していたら ここより完全形の陶棺を発見した。話題になり すぐ宮内庁が買い上げた。その後 国立博物館に常時展示されるようになり 戦後 社会科の教科書にも載ったことがある。この型の陶棺は岡山県吉野川流域で多く見られる形である。大化の改新の1年後 薄暮令が出たので 古墳が作れなくなり その代わりに 当地の有力者が作ったものであろう。この集落は 江戸時代は平野村・下福原村に分かれていた。両方を合わせて 古代より平野別府と呼ばれていたので 郡衙があったと江戸時代の学者 平賀元義は推定している集落である。投函にはスカートのような服装の人が馬の手綱を持っていいる。2つの棒のようなものの先に長細い玉、円形が2つ、バックに山が描かれている。多くの学者が この模様から「描かれている人が馬に乗り須弥山に向いたい」との思いで作らせたのだろうと。棒は蓮、円は日輪と月輪。山は須弥山。既にこの地方に仏教が浸透居ていたものと考えられる。出土地を確定するさ調査をしたが…確定できていない。平成16年にこの陶管は岡山県立博物館まで里帰りをしている。現在は里山の中にあり 散策のルートの貴重な場所となっている。