関ヶ原で歴史を感じる冒険。
関ヶ原古戦場 石田三成陣地の特徴
石田三成の陣地跡からは、古戦場の豊かな眺望があります。
甲冑を着た観光客が訪れる、歴史を体感できる場所です。
島左近の陣地を登った先に見える景色に、思わず息を呑みます。
2025年8月16日午後訪問関ヶ原駅の北西、関ヶ原古戦場の北西にある西軍大将石田三成の陣地跡当日は駅前で自転車を借り北西にある関ヶ原古戦場記念館と関ヶ原決戦地を拝観し更に北西へ向かいこちらへまずは麓の島左近の陣地を眺め笹尾山の中腹にある陣地跡へ登りやしたよこちらはとても眺めが良く古戦場が良く見えやしたよ途中近くから甲冑を着込んだ観光客も登ってきており、また小西行長の衣装を着たイベンターもおったさあ。
関ケ原の戦い W西01石田三成陣跡-----説明文より-----笹尾山は北国街道を押さえる位置にあり、高所で盆地を一望でき、防御に適している。石田三成隊約6千は、西軍諸隊とともに前日の夜半に大垣城を出て、合戦当日の午前1時頃ここへ布陣した。午前8時頃に戦いの火蓋が切られると、黒田長政や細川忠興ら兵力で勝る東軍諸隊が猛攻を仕掛けるが、島左近(清興)を中心に石田隊は獅子奮迅の働きを見せ、東軍を幾度も押し返す。しかし、左近が黒田隊の射撃で負傷し戦線から脱落すると、石田隊も徐々に押し込まれる。西軍は善戦していたが戦っていたのは一部の部隊だけだった。島津義弘は三成の度重なる参戦要請を拒否。午前11時頃、三成はここから総攻撃の烽火を上げたが、松尾山の小早川秀秋、南宮山(垂井町)の毛利秀元らは動こうとしない。その最中、正午頃に秀秋が東軍へ寝返り均衡は崩れる。大谷吉継隊が壊滅すると、西軍諸隊は次々に崩れ敗走。勢いに乗って押し寄せる東軍諸隊を相手に、石田隊は決死の覚悟で踏み止まり奮闘したが、午後2時頃にはついに壊滅。三成は再起を期して、背後の伊吹山方面へ逃れていった。
私が来訪した時は小早川秀秋に扮する方がこの地に佇んでいました。よりによってこんなところに…なんて思いましたが色々面白い話が聞けて充実した観光が出来ました。小早川秀秋って元々東軍だったんじゃないかという疑問がより一層深まりました。
| 名前 |
関ヶ原古戦場 石田三成陣地 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.sekigahara1600.com/spot/ishidamitsunarijinato.html |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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遂にきました!関ケ原!そしてここが治部殿の陣!笹尾山の中腹に築かれており、関ケ原盆地を見渡せる場所にある。思っていたより関ケ原盆地って狭いんだな。北は伊吹山地、南は鈴鹿山脈に挟まれ東西に伸びる狭い盆地の中で10万以上の兵がぶつかった(静観していたのもいるが)。その激戦地が目の前に広がっていることに猛烈に感動。