元伊勢の阿紀神社で心清める。
阿紀神社の特徴
手水舎ではなく川で身を清める、古式ゆかしい神社です。
境内の能舞台は江戸時代初期に設けられ、歴史を感じます。
阿騎野で詠まれた歌碑があり、万葉集を身近に感じられます。
自分が「元伊勢」に心惹かれるキッカケになった心落ち着く素敵な神社です。普段は静かなお社ですが、毎年5〜6月に行われる「あきの螢能」では雰囲気が変わり、人で賑わい、夜は能の途中で螢が境内に放たれ、幻想的な瞬間に立ち会えます。(事前予約必要です。)
倭姫が三輪から旅に出られて最初に天照大神を祀られた神社とのことです。伊勢神宮内宮と同じ作りの社殿(唯一神明造)で伊勢神宮はここから始まっていたんだなーと歴史を感じられます。神社隣に駐車場とトイレ有り。御朱印は社務所裏のお家でいただけます(書き置き、日付セルフ)
元伊勢の阿紀神社にお呼び頂けました。神明式鳥居を抜けると空気感は締まりを感じますが、傍らを流れる川の音、広く明るい境内に広くて大きな舞台に何処か懐かしさや優しさに包まれるような感覚で心地良さが得られました。本殿と拝殿は南向きで、鳥居からだと真横となるので神明造の優雅で荘厳な本殿が見えるのが珍しく10本もある鰹木や横削ぎの千木が立派です。ただ流石に本殿前に立つと凛とした空気が流れ気が引き締まり挨拶させて頂きました。主祭神は天照大神ですが、相殿には天孫降臨の神々、合祀祭神は多くの国造りや産土神が祀られています。滋味な目立ちにくい場所ですが、それ故に神聖な場所だと思います。本当に心地良さがありお伺いするのが良いと思います。駐車場はありますが広くは無いです。道も狭いですので注意して向かって下さい。
元伊勢らしく古式ゆかしい神社で、こちらでは手水舎ではなく川で身を清める古い形式がそのまま残されています。
神代から続く神社と聞いてもピンと来ないが、この辺り阿騎野は奈良のみやこの人の狩り場で軽皇子も山部赤人と訪れた地とのこと。その昔教科書に載ってた「東の野に炎の立つ見えて返り見すれば月傾きぬ」の歌は阿騎野で詠まれたと聞くとなぜだか急に親近感ぐわく。なるほど近くにはかぎろひ公園だの人麻呂公園だのが点在する。江戸時代初期には織田家の松山藩が置かれ境内にある能舞台はその頃設けられたものらしい。このくらいの時代の話ならなんとなく実感がわくけど…個人的には石灯籠の燈明部分が木造だったのが興味深かった。無人でご朱印は頂けなかったが、ご由緒書きが、置かれていたので一枚頂きました。
元伊勢 阿紀神社は小さな森に囲まれ、ひっそりと鎮座されています。奈良のいにしえの歴史に想いを馳せる素敵な場所です。
とても静かで落ち着く空気感でした。社務所には誰もいらっしゃいませんでした。すぐ隣に3台程の駐車場がありますがそこまでの道が狭い。
雨の日でしたが、清涼な感じでした。社殿の造りが珍しいです。映画『すくってごらん』推しでした。😃😃😃
こんな神聖な雰囲気を久しぶりに感じた。元伊勢神宮として大切にされてきたのだろう。神明造の社殿はとても立派。でもだれもいなかった。観光地とは無縁。境内の花梨の木から落ちた実は自由にお持ち帰りください、とあった。倭姫命の祭祀跡までの地図も印刷して置いてあった。トイレもとてもきれい。日本全体にこの神社のことを知らせたい気分になった。倭姫命に感謝。
| 名前 |
阿紀神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0744-23-7695 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjashi-kensaku/jsearch3jinjashi.php?jinjya=5796 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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阿紀神社(あきじんじゃ)。奈良県宇陀市大宇陀迫間(おおうだはさま)。式内社(小)、旧県社。【祭神】天照皇大神 (合祀)天手力男命 秋姫命 八意思兼命資料によると、本郷川(旧称神達川)の北岸、山据の水田に囲まれた樹叢が旧鎭座地で神樂岡とも称せられた所である。神社の付近一帯はかつては阿騎野といわれ、朝廷直轄の狩猟場であった。近くに、万葉歌人・柿本人麻呂の歌「ひむがしの 野にかぎろひの 立つみえて かへりみすれば 月かたぶきぬ」の「かぎろい」で有名な、「かぎろいの丘」があり、今では万葉公園として整備されている。神武天皇東遷の時、神夢に依つて椎根津彦命と弟迦斯の二人に命じて天の香山の埴土を取り土器と壼を作らせて多数の器に天の甜酒を入れ、神戸の社(当社)の木々の下に備ヘて天神地祇を祭った。『倭姫命世記』の「宇多秋志野宮」の地とする。此の地が伊勢大神宮の神戸が置かれていたので神戸大神宮の社号がおこったと考えられる。社地の前を西南から東北に流下する本郷川は当社の御手洗川で、南岸狭長な水田を隔てて数十mの高い位置に墳丘を覆う樹叢の地があり、ここを高天原と称する。天正年中(1573~1592)に神樂岡の社を現在地に遷座したと伝え、又造営の時にこの地に一時遷座する所であるとも云われていて、社地の跡と考えられる所が今残つている。神宮寺についてはあきらかにする文献は乏しいが、天照大神の本地仏である大日如来を安置する大日堂があつたという。とあります。