昭和の面影、トロッコの旅。
トロッコ展示の特徴
トロッコ後の道は広く平で歩きやすく、散策しやすい環境です。
昭和八年から昭和四三年まで活躍した三塩軌道の歴史を感じられます。
トロッコによる材木運搬が再現され、興味深い体験ができる場所です。
富士川水系の笛吹川の源流部は、広瀬ダムで造られた広瀬湖の上流の二俣吊橋のところから東沢渓谷と西沢渓谷に分岐しますが、東沢渓谷は一般登山道がなく沢登りで一般登山者は基本的に立ち入り禁止ですが、西沢渓谷は登山道を周回すると、渓谷、滝と紅葉・新緑などが美しいです。西沢渓谷の登山道を反時計回りに周回すると、ハイライトの七ツ釜五段の滝から不動の滝を過ぎると、西沢の右岸の急坂を登りトロッコ道に出て、トイレのある展望台に着きます。トロッコ道は旧三塩森林軌道の跡をつかっており、大昔は馬二頭でトロッコを引き上げて、帰りは木材を積んでは手動ブレーキのみで下ったそうで、アップの全く無いなだらかな下りで、歩く分には道幅十分です。下る途中にトロッコの展示があり、木材の上にはシュールな人形が乗っています。近くには「ひこいっちゃんころばし」と言うトロッコ乗りであった彦一さんが操作ミスで馬と一緒に沢に落ちて負傷した場所もあり、モデルは彦一さんでしょうか?
下山中、遠目から見るとトロッコの上に人が乗ってる!と焦りました。昔の投稿画像比較するとかなり展示品のクオリティが高くなってます。整備した方々お疲れ様です。こんな機構じゃ「ころばりこんだ」するわーとしみじみ思いました。
トロッコ後の道は広く平で歩きやすいのですが、谷や上を見ると危険な仕事だったことがよくわかります。沢へ落ちたら単独では上がってこられません。この展示もですが歩く時に油断しないようにしましょう。■↓この口コミが役立ったと思ったら「役に立った」を押してください。よろしくお願いしますm(_ _)m
昭和43年までこのエリアにトロッコが走っていたとは驚き‼️ しかも塩山駅までって💦いか、説明看板の抜粋トロッコの由来このトロッコ軌道跡は、三富村と塩山駅を結ぶ三塩軌道と称し、昭和八年~昭和四三年まで、主に西沢・東沢一帯の県有林の木材搬出に活躍したものです。全長は三六キロメートルで、自然勾配をせび(ブレーキ)だけで塩山駅まで下り、登りは馬で二台づつ引き上げていましたが、昭和二〇年頃からはディーゼル機関車で六~八台を広瀬ダムの対岸にあった中土場(なかどば)まで運び、そこから奥一六キロメートルは、馬に頼っていました。木材搬出の工程は、伐採を専門とする者と、積子(つみこ)といって丸太をトロッコに積む者、及び、運材夫といって中土場まで運び、これを塩山駅まで運ぶ業務をそれぞれ分業で行なっていました。県有林からの木材搬出の合間に、民間の者も炭・薪・繭(まゆ)等の搬出、米を始め、あらゆる生活物資の搬入に、このトロッコを利用していました。これらは、軌道使用料条例によって、塩山林務事務所が発行する切符により、その荷重と距離により使用料が定まっていました。三塩軌道は、戦後の食料難等、幾多の危機を乗り越えて、昭和三七年頃まで全盛を続けていましたが、やがて国道が整備され自動車輸送に変わり、いつしか衰退し、昭和四一年、中土場~塩山駅間の軌道は撤去されました。かつては、戦前黒金山の銅鉱採掘による鉱石運搬・また鶏冠山から採掘された石(けいせき)の運搬は最後まで行なわれていましたが、昭和四三年その歴史を閉じました。
西沢渓谷の滝を見た後のこのルートは元々鉱山のトロッコだったそうで、その頃の名残りに思いを馳せる事が出来ます。物凄くハードな肉体労働だったんだろうなあ。
狭い山際をこのトロッコ列車が昭和40年代まで走っていたなんて…。今、観光列車として走っていたら楽しいだろうなぁ、と思いました。
当時のトロッコによる材木運搬の様子が再現されており興味深いです。山奥ですが一見の価値ありです。
| 名前 |
トロッコ展示 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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西沢森林軌道跡は現在遊歩道となっている。最奥の黒金山登山道分岐の先からは「通行不能」の看板があるが、実は自己責任で行くことも可能、何せ「不能」なので。で、その奥は宙ぶらりんのレールに掴まって30mの崖っぷちを渡ったり、トンネルを二か所くぐり、明確に残るレールや交換設備の跡、そして橋脚だけが残る西沢の橋まで行ける。トロッコ、廃線跡が好きな人は調べてみる価値があるかも。