相馬二万石の老松が見守る。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
神の松(相馬二万石) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
江戸時代初期、この「相馬二万石」と呼ばれる水田地帯が、小貝川の流路変更に伴う開拓により生まれた際、植えられたとされる老松。その根本には石祠が残る。名前の由来は、寺田喜久の『相馬伝説集』(1922年)によると、文政(1818-1830)年間のある日、風もないのに基から折れたので、翌日村人が起こすために見に行くと既に自ら起こり上がっており、少し北向きに曲がっていたのみだったため、これは神さまの起こしたことだと信じられるようになり、以来「神の松」と呼ばれるようになった、とある(P.9-10)。この相馬伝説集が書かれた頃は、その名がつくきっかけとなった時と同じく、木が少し北に反っている様子がみえたとのことだが、戦後に虫害で枯れてしまったとのことで、今はあまりそう見えない気がする。ただ、一面の田圃とその向こうの小文間の台地を背に、広い空に向かって真っ直ぐ立つ姿は、今でも神々しい。『取手町郷土史資料集 第一集』(1970年)によれば、根本の祠は稲荷の祠で、この場所に住居を持っていた農家が植えたとしており(P.119)、『相馬伝説集』でもこの場所の小字名は「屋敷」で、かつて人家があった場所としている(P.9)。一方『取手市史 民族編2』(1985年)によれば、この場所には春日神社があり、水害により台地の上の現在地に移転したと伝えられているという(P.94)。いずれにせよ、この一帯が1630年の岡堰完成などによる新田開発で、民家や寺社の土台が水に侵されたので小文間の台地の上に移転したあとも、その過去を今に伝える存在としてこの場所に樹ち続けている貴重な存在である。(ちなみに同じ小文間の「はしか不動」こと大聖寺も、用水の侵入により現在の高地に移築される前は現在の田園地帯の中にあったとされるが、かつての場所は明治期に水路になり、その地先に架かる「不動橋」の名前のみが残されている。)現在、松のすぐ周りの敷地は福永寺の所有となっている。