美しい青谷に響く金属の神。
金山彦神社の特徴
所在地は柏原市青谷、国道25号線沿いの静かな神社です。
927年創建の金山彦神社は、歴史深い延喜式内社です。
京都の御金神社と同じ御祭神を祀る金属神を象徴する神社です。
国道25号線柏原市国豊橋を渡らずそのまま直進、青谷ゴルフ場下の交差点も直進青谷地区の細い地道を行けば左手に見えてくる。古代の製鉄地と言われ、更に上の金山姫神社と共に製鉄の神様として古くから信仰されているという。
金山彦神社( 金山毘古神社)鳥居の横に車が2台くらい停められます。延喜式内社で、御祭神は金山毘古神です。古事記では、伊邪那美が火の神「カグツチ」を生んだ時、ホト(陰部)に大火傷を負って病に臥してしまった。病の苦しさに耐えかねてゲロを吐いてしまった。その吐瀉物から金山彦と金山姫が生まれた。と記述されています。吐しゃ物は金属が溶けて流れ出す様子を表すと考えられ、製鉄の神となったのでしょう。現在は金山の名前から富を生む神としても信仰されています。本殿の横には注連縄のある磐座のようなものが見えるので、記紀以前からの自然崇拝の地であったかもしれません。ここから車で2~3分龍田古道を登ると金山媛神社があります。
生駒山の帰りに寄りました👍いい神社ですね😃
延喜式内社。「金山彦神」(かなやまひこのかみ)は日本神話に登場する鉱山の神。古代において、この地域に鍛冶・製鉄集団が存在していたのかもしれない。
金山孫神社かなやまひこじんじゃ大阪府柏原市大字青谷2060イザナミノミコトが火の神軻遇突智(カグツチ)を生んだ際の嘔吐物が派生した神が金山孫ですつまり金属神です祭祀氏族は朝鮮半島から渡来した上村主(かみのすぐり)です神体があり騎馬神像は全くの朝鮮風のいでたちという(小林 章氏 参照)2020/7/16 参詣。
駐車場はありましたが、私が訪れた時はそこに駐めて、市の職員の方が作業をしていらっしゃいました。小さな神社なので、短時間でお参りをさせてもらいました。
先日訪れた際に、参拝をしたかったのですが、改修工事でしょうか?業者さんや地元の方がたくさんいらっしゃって、賽銭箱に続く階段にたくさんたむろされていて、近付いても道を譲ってくれる気配がなく、こちらも怖がってしまってそれ以上近づけなくて、参拝できずに帰ってきました。残念です。
「竜田の道/万葉の道」巻四の一の二 柏原市青谷2060金山彦神社(かなやまひこじんじゃ)創建 927年(醍醐天皇延長5年)柏原市歴史資料館から、大和川沿いの「本堂高井田線」を進むと信貴山頂に向かう道路と国道25号線に合流する道路とに分かれます。自然と流れ入るのが県道183号線です。この道は途中、すれ違いが難しいことと路上駐車が憚られるので注意が必要です。祭神の金山毘古命が製鉄・金属精製の神ということもあるのでしょうか、本殿の千木(ちぎ)が眩く夕陽に映えて、神々しさを引き立てていました。ちょっと足の竦む思いでしたが、いいお姿をいただきました。こちらはパーキングがありませんので、足早に出立します。「金山媛神社」、対の社です。
京都の御金神社さんと同じ御祭神である、金山彦様をお祀りされてます。同じ鋳物や金物の神様でも、御金神社さんのような金運ご利益といった雰囲気ではなく、地域の方に大切にお祀りされている印象です。境内には龍王様、お稲荷様、伊勢の遥拝所があります。駐車場はない為、神社の手前のスペースに参拝の間だけ駐車させていただきました。
| 名前 |
金山彦神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
072-979-0683 |
| HP |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai6shibu/kashiwara-city/06042kanayamahikojinja.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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金山彦神社(かなやまひこじんじゃ)。大阪府柏原市大字青谷。式内社(小)、旧村社。主祭神:金山毘古神【祭祀対象】製鉄を司る神資料によると、青谷寺の北、池の東岸山裾に鎮座する。金山孫神社は金山孫女神社とともに製鉄を司る神の社である。金山の神を祀る神社は美作国の中山神社、美濃国の中山金山彦神社などがあるが、現在も社名に金山孫・金山孫女の神名をそのまま出しているのは本社だけである。雁多尾畑(かりんどおばた、大阪府柏原市)地区の上手の山から鉄屑が発見されていて、この地域に製鉄に從事する人が活動していたことが裏付けされている。延喜式神名帳では小社に列せられたが、その後の状況はよく分かっていない。中世と近世には北峰山青谷寺の鎮守として八大金剛童子社といわれていた。明治5年、村社に列せられ、社名も金山彦神社となつた。旧地はもと嶽山の嶺に在つたが、中古今の地に移したとの説がある。嶽山の嶺は金山孫女神社の旧社地といはれており、金山孫、金山孫女神社はともに嶽山の嶺にあつたのが、中古今のように両地にわかれたともとれる。別の説としてもと神社の東の寺山の上にあり、中古今の地に遷したとあり、寺山の頂上には三株の大松があつたが、大正13年の夏枯死したと云われている。嶽山には「龍田大社本宮址」の碑が建っている。おそらく集落の北東、上方の山頂部付近と云われている。標高276.4mの、いま「とめしよの山」と呼ぶ山の西半部が嶽山ではないかと云われている。金山媛神社の北東にある“留所の山”ともいわれ、神社の北東約700m(府道の東側)に留所山霊園があり、その辺りを指すかと思われる。雁多尾畑地区の高地には「御座峰」と呼ばれる「龍田大社」(奈良県三郷町立野南に鎮座)所縁の地があり、古く製鉄には火を熾すために風が必要であったことから、当社を奉斎していた製鉄集団は風神を祀る「龍田大社」の祭祀にも関わっていたのかもしれません。さらに当地の西側、高尾山の麓の大県地区には「鐸比古鐸比賣神社」があり、また高井田地区に鎮座する「天湯川田神社」を奉斎した「鳥取氏」も製鉄に携わっていたとする説があり、当社を含め旧・大県郡には製鉄に関する神社が多く分布しています。とあります。