甘楽町の歴史、記念碑で感じる。
甘楽社小幡組由来碑の特徴
祖父が生まれる前に建立された歴史的記念碑です。
甘楽町歴史民俗資料館が近くに位置しています。
小幡小学校の新築または改築が話題です。
祖父が生まれる前、曾祖父の頃に建立された記念碑。以前は農協の敷地内にありましたが、こんにゃくパークからの(工事中)道を舗装するため、ぐんま絹遺産の一つに数えられている貴重な石碑なのに行方不明でした。歴史民俗資料館の館長さんに尋ねて、現在の場所に移転してあると知りました。県内外だけでなく、町民にも広く知ってもらいたい町の歴史の一つです。
| 名前 |
甘楽社小幡組由来碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.town.kanra.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/kanra/20180822175924.html |
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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甘楽町歴史民俗資料館と小幡小学校(新築または改築?)の間にあります。バリケードで出入口が封鎖されていたので、資料館の受付の男性(もしかしたら館長?)に聞いたら、入って良い、との事で、入りました。甘楽町指定重要文化財。かかあ天下・群馬の絹物語構成文化財。後世に語り継いでいかなければならない歴史ですね。説明板に現代訳が記されていたので書いてみます。少し不安。産業組合中央会群馬支会長従五位勲五等窪谷逸次郎 篆額昔の人が言うように成功するには必ず理由がある。明治維新で海外貿易が開かれ、養蚕製糸業が始まった。明治十一年、村の急進的な人は、世の中の動きをよく知り、仲間と相談して、小幡精糸会社と尾上精糸会社に生糸揚返所を造る。明治十三年、双方とも甘楽社の支部となる。これより村に養蚕をしない家はなく、製糸をしない女性もいなかった。両支部に合併の話が起こり賛同を得て明治三十年、甘楽社小幡組となる。規模を広げ産出額も増して糸は更に良質になった。明治四十三年、産業組合法により基礎を固め、大正二年、有限責任信用生産販売組合甘楽社小幡組となる。工場及び機械の改善は評価を上げ、繰車札の音がしない日はなかった。組合人は710人で一年間ね糸量は二千八百貫、その価格は二十二万円になった。上州南3社中で第一となったのは、先進的な人が、未来の事を考えて始めたことを後に続く人がよく守ったことによるものである。そして、組合員が相談してそのいわれを消し去ることのない碑に表すため文にして残すものとする。産業組合中央会群馬支会副会長従六位勲六等 詫摩清秀 撰書ぐんま絹遺産「旧小幡組製糸レンガ造り倉庫(甘楽町歴史民俗資料館)」とともに、当地域の養蚕業をけん引してきた甘楽社小幡組の歴史を伝える貴重な資料であり、後世に引継ぐ遺産だと思います。