遥かなる大戸城を登ろう!
手子丸城跡の特徴
手子丸城跡は群馬県で最大級の城跡と評判です。
登山口がわかりにくく、目印の鉄ハシゴが特徴的です。
ビングテープやフラ階段は落葉で隠れることがあります。
真田信幸の初陣はこの城の北条方からの奪還作戦だったと伝わる。
①鎌倉時代に信濃からこの地に移り住んだ浦野氏の末裔によって築かれ、やがて、斎藤氏から武田氏に鞍替えし、武田氏の西上野侵攻に加わり、武田氏滅亡後は北条氏の傘下に入るが、北条氏の滅亡により廃城となる。標高649mの手子丸山(城山)の山頂に主郭があり、主に東へ伸びる尾根に堀切などの遺構がある。大戸城とも呼ばれる。②大戸関所跡の前から東側の山へ向かう狭い舗装路を、約1キロほどくねくねと上り、S字カーブの山側に立て掛けられた鉄梯子伝いに尾根にかじり付く。物凄い急斜面だが、山上の送電鉄塔を保守管理するための階段があるのがもっけの幸い…荒い息を付きながら、やっとこさっとこ上り着いた尾根をひとまず左方向へ向かうと、送電鉄塔が頭上に大きく覆い被さって来る。遺構は、鉄塔の西側の尾根筋周辺に広範囲に及んでいて、思わず頬がゆるみ、目はパッチリ…声にならない声で、やったぜベイビー…。案内板はないが、丁寧な目印が、しっかり導いてくれる。車は鉄梯子の近くの路肩へ🅿️可。2025/4/4 ●この南側のルートよりも、北側からのルートの方が、ベストらしい…参考までに。
この地域で最大級の城跡かと思います。城跡北の県道バス亭辺りのカーブから出ている林道を辿ります。堤防にぶち当たるまで進み、鉄塔の標識があるのでそれに従って細道を登っていくと城跡へ着きます。曲輪群が三個あるイメージで、仮にⅠⅡⅢとすると、南西側の山頂からⅠ、Ⅱ、Ⅲ、と東へと並んでいる感じです。南側は急崖となります。本丸へは急崖の手前、ⅠとⅡの間の凹み部から直登すると、山頂の本丸にたどり着けます。石碑がなぜか崖の際に建てられています。Ⅰ曲輪群では本丸から北側の傾斜の合間に帯曲輪が設けられています。Ⅱ曲輪群は凹み部を東へ登ると有ります。高所に土塁空堀のような痕跡があり、ヤブを抜けると鉄塔が有ります。谷合の鉄塔から遠方には岩櫃山が眺望できました。北側に降ると堀切が有ります。ⅡとⅢの間で、南側の急崖側が土橋となります。連続堀切が浅く遺り、その辺りで引き返しました。
先ず登山口がわかりずらい、案内板なし数段の鉄ハシゴが目印、登山道の目印はビングテープまたはフラ階段がありますが落葉にうずもれている整備がのぞまれる。では城趾ですが四方が見渡すことができ砦として機能は十分果たせたと思います。北北東に岩櫃山が見渡すが樹木にさえぎられて見えない。
登山道の入り口がわかりにくいので注意。国道406号沿いにある大戸関所の脇道を入ります(高崎方面に走ると関所の手前を左折)。一車線の道路を2分くらい進むと登りカーブになって、カーブ途中の左手に梯子が見えます。それが登山道入り口です。梯子を登ったらすぐ左手に進むと、プラスチックの簡易階段があるので(おそらく電力会社の点検用かな?)、それを登ると尾根にでます。登山道は、秋や冬ならちゃんと見えると思います。
| 名前 |
手子丸城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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別名 大戸城一度は登城口が見つからずに断念、一度は天候不順により断念、2021年12月にようやく3度目にして攻略しました。県道58号線(中之条東吾妻線)を中之条方面から大戸方面に進み、左側にある「鳩の湯温泉 あと10キロ」という看板の手前を左折。車幅一杯の林道を約400メートル進むと、突き当りに駐車が可能な少し広い場所があります。右側の沢に掛る枕木を4本並べた木橋を渡って山道を少し行くと、左側に「榛名線」と書かれた黄色い標柱があるのでそこを左に上って行きます。北側に伸びる6つの峰に広がる城域は非常に広く、南側は急峻で、一の廓から見下ろすと大戸の交差点が真下に見え、この交通の要衝を抑える拠点として機能したことがわかります。浦野氏、斎藤氏、武田氏、真田氏、北条氏の攻防が繰り返された重要史跡ですが、一の廓にある石碑以外は、広い城域に城跡としての表示は一切ありません。