魅力あふれる富士紡績の跡地。
富士紡績株式会社桐生工場の跡の特徴
明治20年創立、富士紡績の歴史が息づく跡地です。
約12万3千平方メートルの広大な敷地に産業文化が集結しております。
太平洋戦争後、中島飛行機製作所に転用された貴重な歴史的背景があります。
平日Mapに記載がないので訪問する運びとなりました。幼少期に織姫神社と呼んでいた地となります。改めて伺ってみると石碑があり、富士紡績株式会社桐生工場の跡と記載がありました。穴場スポットと感じます。ありがとうございます。
| 名前 |
富士紡績株式会社桐生工場の跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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富士紡績(株)桐生工場の跡この土地12万3千平方米は元富士紡績(株)桐生工場の敷地であった 明治20年11月日本織物(株)が創立され全国に魁けて様式機械を備え水路2kmを開き米国製タービン2基を据え付け動力と自家発電とに供し織姫繻子を始め新製品に増産をなし本市産業文化振興の源泉となった その後経営は桐生織物(株) 日本製布(株) 東洋織布(株)と順次変更した 昭和7年富士紡績(株)は東洋織布(株)の委託を受け施設一切借り受けの賃貸契約を締結し同社川崎工場の原糸を用い製品は同小山工場にて加工し市場に出した 同9年10月之を買収し爾来富士紡績(株)桐生工場として地方産業発展に貢献した 偶々太平洋戦争勃発後同工場は閉鎖を余儀なくされ土地及建物は中島飛行機製作所の緊急を要する時局産業に転用された 終戦により返還後同会社は絹紡織工場に再建する計画であったが諸般の状況により之を断念し本市の要請に理解ある協力を示され土地及建物一切を本市に譲渡せられたので地方産業文化の中枢として今日の諸施設が実現を見るに至った 茲に由来を記して後世に伝える次第である昭和38年3月31日桐生市長 前原一治。