飛鳥時代の足跡を辿る、静かな寺跡。
下野薬師寺跡の特徴
無料で見学できる史跡として魅力的です。
古中山道沿いに位置し、歴史的価値があります。
梅の終わりかけの時期に訪れるのが特におすすめです。
飛鳥時代680年頃に創建されたとされるとても古い寺跡国指定史跡無料で見学出来ます当時の寺は焼失しているので、現在の下野薬師寺は後継寺ですかつての寺域は現在の道路を挟んで反対側まで広がっています回廊は礎石が並べられて一部上物が復元されているほか、塔跡や幢竿跡などが復元されています後継寺がある割に当時の姿が想像しやすくなっていると感じます。
梅を見に行きました。少し散策するにはいい場所ですね。駐車場もあります。トイレなどはありません。
敷地は広く、とても静かに拝観できます。駐車場もあり。お釈迦様はまるでガンダーラ仏像のような、日本ぽくないお顔をされてました。
梅の終わりかけに。3月なのに日差しが強くて暑かった🥵終わりかけでも梅の良い香りに癒された。
25.3.1訪問しました。梅祭りが毎年2月下旬土日に行われ今年で18回目、開花遅かったため満開でとても綺麗でした。奈良時代の日本三戒壇の一つ下野薬師寺(他は東大寺と筑紫観世音寺)、創建は飛鳥時代の600年代後半であり奈良時代になり大規模な整備が行われた。この地を治めていた下毛野(シモツケ)氏が朝廷での信任厚かったため戒壇に選ばれた模様。また河内という地名も使用許可を得た(大阪河内が由来、下野市になる前は河内郡南河内町薬師寺であった)。天台宗が台頭し時代とともに衰退、戦国時代には戦乱によりかなりの部分が焼失した。時代とともに安国寺と名を変えた。1960年代から遺跡調査が長年行われ2000年頃より徐々に整備し直してます。広大な敷地にポツンポツンと建物建っており過去の面影も感じられる場所。2025年には唐招提寺から種分けしてもらった瓊花(ケイカ)園も開園予定です。ガクアジサイのような花が咲きます。付近の歴史館には資料などもあります。安国寺も名を昔の薬師寺に最近戻しました。
2025/3/2梅の花が見頃です。とってもとってもいい香り。歴史館で薬師寺の歴史も学べますのでおすすめスポットです。近くに行った際には、是非、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
2月後半に訪れました。駐車場も広く、安心して停められました。私たちは歴史より梅の花目当てだったのですが、紅梅もまだ蕾があり、白梅はこれからという感じでした。しかしそれ以上にたくさんの歴史のある建物、紹介がいたるところにあり、思わぬ発見でした。栃木はまだまだ奥深いですね。とても広いので、散歩にももってこいです。
(2024年10月訪問)761年、筑紫観世音寺とともに下野薬師寺に戒壇院が設置。戒壇院とは754年、多くの苦難を乗り越えて来朝した唐の僧鑑真が将来した授戒作法を執り行う場。・・・下野薬師寺は東国10カ国の僧侶の授戒の寺として東国の仏教の拠点になった。『栃木県の歴史』61ー62頁1211年に生まれ比叡山・高野山・唐招提寺で修行した慈猛上人が当寺で密教復興。下野薬師寺は奈良時代から平安初期にかけて、東日本で最も重要な寺院であった。なぜならここには当時、日本に3つしかない戒壇院が設置されていたからである。戒壇院とは仏教僧になるための戒律を授ける、正式な作法を執り行う場所のこと。『栃木のトリセツ』70頁770年に京都から大物が下野薬師寺に赴任してくる。太政大臣禅師、法王だった道鏡だ。後ろ盾だった称徳天皇の死を受け、造下野国薬師寺別当に任命されたのだ。寺の建設責任者というのが以後の道鏡の仕事となる(赴任2年後に死去)。『誰も知らない栃木県の歴史』32頁ということで関東でも随一の古代の重要な歴史的遺産ですが、その痕跡はほとんどなく、一部復元した建築物と簡素な博物館があるのみです。
見学無料。駐車場無料。資料館も合わせて見学したい。奈良の東大寺、福岡の観世音寺とともに日本三戒壇の一つとよばれた寺跡。東国で仏門に入る者は、ここで戒律を受けたという。現在回廊の一部を復元し、史跡公園となっている。戒壇だったと伝えられる場所には江戸末期に建立された六角堂がある。
| 名前 |
下野薬師寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0285-32-6105 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.shimotsuke.lg.jp/0393/info-0000000641-3.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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7世紀末飛鳥時代後期に創建された古代寺院の遺跡今は公園として整備されてる国の史跡に指定されていて奈良の東大寺、福岡の筑紫観世音寺太宰府と並び正式な僧侶の資格を授ける施設である日本三戒壇の一つに数えられていたそうなその後戦火とかで焼失して、その後発掘調査に基づき一部回廊の北西角の部分が復元され見学できる。