波太神社の秋祭り、迫力のやぐら!
波太神社の特徴
毎年、家内安全を願って初詣に訪れています、波太神社は大切な場所です。
10月の秋祭りでは、やぐらの宮入が圧巻で人々で賑わいます。
織田信長が本陣を置いたと言われる、歴史ある波太神社です。
泉南市に行ったので市内で1番大きな?神社に参拝。1638年に建てられた本殿。立派ですが蜘蛛の巣が至る所に。
無料駐車場があり参拝しやすいです。駐車場から鳥居を抜けると感じの良い参道が一直線に伸びていて綺麗に整備されていて歩きやすく途中に池に浮かぶ摂社や石燈籠があり静かで心地よいです。境内前に橋もあり神聖な場に入ると言う合図の様です。境内には立派な神楽殿と男山八幡宮の拝殿の様な立派な拝殿が迎えていただけます。応神天皇が祭神である八幡社も祭られているからでしょうか?織田信長の雑賀衆討伐で陣をこの地に置いたとの記録もあるそうです。歴史的にも拝殿の造形美にも一件の価値があります。
恵方三社初詣の1社で、家内安全をお祈りしました。
氏神様になります。初詣から毎月1日詣でに行かせてもらってます。
ここ20年以上、親友と毎年初詣に参らせていただいてます🙏日々、健康で暮らさせていただいてる事に感謝です😄
畑(はた)村に在った神社だから波太神社。神社が在る場所から少し南に、今は桑畑という地名で残っている。その場所から現在の場所へ遷された。923年に作られた、延喜式という当時の政治に関する規律を記した書物には、鳥取(鳥取ノ荘)郷の総社として記載されている。織田信長の信長公記には、紀州雑賀攻めを行うにあたって、山中渓・孝子峠両方の交わる波太神社に本陣を置いたと記述がある。隣接する鳥取神社は、創建110年となり造り直された。(本当は100年の時に建て直したかったらしい)お隣の蛭子社も、節目の年である令和6年正月にお披露目できるように建て直す予定だから、その時にまた見に来て。と話好きな宮司さんから色々教えてもらった。
たいへん良い神社ですが、手入れされていない池があり蚊がものすごく多いので蚊に刺されやすい人には辛い場所です。
毎月1日には、お参りにきます。家内安全をお願いします。結構、みなさん、この日には参拝されてます。心が洗われます。
阪南市の氏神様。孫の宮参りに帯同し玉串を奉納させていただきました。
| 名前 |
波太神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
072-472-0951 |
| HP |
http://www.city.hannan.lg.jp/kankou/kankospot/miru/1333611938389.html |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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波太神社(はたじんじゃ)。大阪府阪南市石田。式内社(小)、旧府社。主祭神:角凝命(つのこりのみこと) 応神天皇【関係氏族】波太氏 鳥取氏(和泉国神別「鳥取」(角凝命三世孫、天湯河桁命の後))資料によると、波太八幡宮が昔、下荘村貝掛の指出の森にあつて、神功皇后が新羅から凱旋されたとき、務古の水門より紀の国に至ろうとして船を鳥取の玉津浦につながれ、武内宿禰が皇子を懐に入れて海岸に遊ばれたので、その皇子品陀別命をその地で祭つたのが当社の始まり、としている。山裾に広い境内を持っている。波太神社本殿、末社三神社本殿は、寛永15年(1638)年の建立で、近世初頭の建造物として当時の優美な建築様式を残しており、ともに国の重要文化財に指定されている。波太神社本殿には、この地方の豪族であった鳥取氏の祖と伝えられる角凝命を主神とする波太宮と応神天皇を祭る八幡宮の二宮が祭られている。末社三神社本殿は、本殿と同じく三間社流造の建物で、この本殿のすぐ脇にある。本殿前面に建つ拝殿は1935年ごろに再建されたもので、本殿はこの拝殿の奥にあるため、現在ではその全容を望むことはできない。河内国大県郡には同じく鳥取氏が奉斎したと考えられる式内社「天湯川田神社」(柏原市高井田に鎮座)があり、当社と共に畿内における鳥取氏の重要な拠点だったことが想定されます。大阪府条例の指定をうけている「三十六歌仙扁額」も伝えられている。また、拝殿前の石灯籠は、慶長5年(1600)の銘があり、豊臣家重臣の片桐且元が寄進したものといわれている。とあります。