下照姫命の神秘、長柄神社。
長柄神社の特徴
御所市の歴史ある式内社、下照姫命を祭神にした神社です。
創建は1450年頃と推測され、天武天皇のおみえになった場所です。
巨木が立ち並ぶ境内はしっとりとした静寂に包まれています。
言知主が祀られている。新撰姓氏録には長柄首は事代主の末裔であると書かれており、この付近に東出雲王家である登美家(富家)一族が住んだ事を物語っている。
連綿と伝わる由緒、歴史をお持ちの神社さんで、長柄とは、葛城山の雄大な尾根を意味するとも。祭神、下照姫説、高照姫説、諸説あるようです。由緒書には、下照姫と載っていますが、御所市の案内だと天稚彦命の妻とも。天稚彦命の奥さんを指すのなら、高姫タカコさん=高照姫(初代事代主クシヒコさんの妹であり、迦毛大御神タカヒコネさんの姉)なのかもしれません。愚直にも下照姫そのものを考えるなら、下照姫=大倉姫/アユミテル姫(阿治須岐高彦根神の奥さん)であるかもしれません。詣でたおり、得た感じでは下照姫/オクラ姫の印象でした。時の経過も手伝い謎が謎呼ぶの当社祭神のようですが、この下照姫、高照姫にあたる方、国史上、三名おられるといいます。五代大物主クシミカタマさんや三輪臣オオタタネコさんがおまとめになるところ、下照姫と呼ばれる方、お二人おられ、初代下照姫に、アマテル神、ソサノウさんのお姉さんであるワカ姫ヒルコさん。二代下照姫には美濃の国守、アマクニタマさんの娘であるオクラ姫。兄は天稚彦さん。そして謎めく理由に、高照姫と呼ばれた方もお二人おられたようです。初代高照姫もワカ姫ヒルコさん。裁判を経て、中央から追放となったソサノウさんが、ひと目お姉ちゃんを見てからと会いにいったのがこの方。私が穢れの身ならば女の子が、清らかなれば男の子を授かるであろうと、誓約を交わしたのもこの方。ご主人は阿智の神ことオモイカネさん。二代高照姫はタカ姫タカコさん。オホナムチさんとタキリ姫タケコさんのお嬢さん。ご主人はアメノワカヒコさん。①ワカ姫ヒルコさん。→ 初代下照姫。初代高照姫。(生田神社、西宮神社、玉津島神社、丹生都比売神社等、祭神)②オクラ姫/アユミテル姫。→ 二代下照姫。(大倉姫神社、巨椋神社、天稚神社、川上鹿塩神社等、祭神)③タカ姫タカコさん。→ 二代高照姫。(葛木御歳神社、青森県弘前市鬼神社、高照神社等、祭神)”ひたるの時に 賜ふ名は アユミテル姫に シタテルと佐太のタカ姫は タカテルと 授くる”ひたるの時=晩年 佐太=オホナムチとホツマツタヱにあります。当社より南側に鎮座されますご主人タカヒコネさんの高鴨神社さん。師匠のヒルコさん祀る葛木御歳神社さん。上記勘案しますと②オクラ姫の下照姫がお祀りされてるような気がします。
2024/10/10参拝本殿が室町期とされる古い社です左右から見ることが出来るので、じっくりとそのお姿を拝見出来ました末社?の小さい社も形が独特ですね狛犬は拝殿前と末社前に置かれていました本殿右手には子供用の遊具もありましたね。
長柄神社近鉄御所駅より葛城の道をテクテク、、まずは高鴨神社→鴨都波神社までの道のりの途中で出会った長柄神社。名柄街道と水越街道の交差点に位置しています。民家もたくさんあるにも関わらず手入れされている様子なく、、由緒ある村社なのに。天武天皇が境内で流鏑馬(やぶさめ)をしたと日本書紀に記されて聞くのに。ご祭神は下照姫命(したてるひめのみこと)。文献では他の祭神説として、事代主命説や高照姫命説が挙げられていますとの事。丁重にお参りをさせて頂きました合掌。
御所市の西方にある式内社です。現存する石造物は江戸時代末のものばかりですが、江戸時代初期のものと思われる石燈籠の基礎や、大阪下寺町の石工新助や、紀州東家の石工傳次郎による狛犬があります。
大国主命の娘、下照姫命が祭神です。裏に廻り本殿の庇を観ましょう。龍の絵が描かれています。ここに描かれているのは大変珍しいことです。また、入口にある1対の石灯籠は、堺屋太一(池口小太郎)さんから寄贈されたものです。ここは、お父さんの実家があり、戦時中の大阪空襲で名柄に転移し、名柄小学生に転入している。
駐車場はありませんが、神社からお隣のお寺までの道沿いが駐車スペース?トイレも確認できませんでした。神社のなかに公園があります。
創建年代は1450年頃とみられ、日本書紀に天武天皇が長柄神社におみえになられたと記されている、歴史と由緒ある神社のようです。現在は神社敷地内に朽ちてしまいそうな遊具がある児童公園が併設されており、神社の雰囲気も寂しい感じですが、以前は敷地全体が立派な神社であったんだろうなぁと想像はできました。案内板があり、詳しい説明がなされています。
20/10/16参拝。下照姫命を祀るとされ、一言主神社や高鴨神社の「姫の宮」と称されている延喜式内小社で旧村社。創建は不詳ながら、付近(名柄遺跡)で680年に騎射を催した記述や首長居館遺構、銅鐸、鏡の出土がある。本殿は一間社春日造で1312年を最古とする17枚の棟札が伝わり、室町中期の1489年まで遡ることができるらしく、軒下には八方睨みの龍が描かれている。名柄の集落内に鎮座し、公園を兼ねているようで、手入れも行き届いている。
| 名前 |
長柄神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0745-66-0178 |
| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=5829 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
長柄神社(ながらじんじゃ)。奈良県御所市名柄。式内社(小)、旧村社。別称を「姫の宮」とも。主祭神:下照姫命資料によると、事代主命である長柄首の祖神が祀られていたとの説もある。周辺の神社の社格から一言主神社や高鴨神社の姫宮と考えられるようになった。葛城山麓沿いの名柄街道と水越街道が交差する、古来よりの交通の要所に鎮座する。神社の西には銅鐸、多紐細文鏡が出土した名柄遺跡がある。銅鐸はやや小型であり、鏡は直径が15.5cmの北方大陸系の古式の鏡である。長柄は長江から転じた名である。長江は葛城山系の尾根の様子を意味する。 また急斜面の扇状地を言う古語ともされる。この地は日本書記神武即位前紀の「臍見の長柄(ほそみのながら)の丘岬」の地に比定されている。とあります。