歴史感じる家原寺近くの城跡。
家原城跡の特徴
三好長慶の重臣松永久秀が築いた城跡は歴史の深さを感じる場所です。
城跡碑と説明板があり、歴史マニアにとって貴重な体験ができます。
家原寺のすぐそばに位置する要塞のような平城の跡です。
どういう経緯か分からないけど、立派過ぎる門と「どうする家康」的ロゴと石碑と説明板と小道案内板があります。結構お金かかったんだろうな。城跡好きには面白いけど。大池が何となく今に残る城跡っぽさを醸し出しています。
石碑あり。城跡周辺は微高地。
家原寺の近くにあります。石碑と案内板、広場があります。
石碑だけであったが、いろいろと歴史を感じた。
説明板はありますが当時の面影はありません。
▪️三好長慶の重臣松永久秀が支城として築いた城でしたが、三好政康によって攻められ落城しました。▪️現在、整備を施された城址公園として残されています。三好元長の死により消滅した「堺幕府」の僅かに残る所縁を語るものとして~。▪️アクセス御堂筋線/なかもず駅または南海高野線/中百舌鳥駅より、南側南海バス③乗場にて「堺市立総合医療センター前」下車。JR津久野駅よりもバスにて「堺市立総合医療センター前」下車し、徒歩若干分。
扉を開けて入れるようになっているのですが…施錠部分が内側に入り込み引き出す事が出来ませんでした。
津久野の古名、踞尾って初めて知りました。付近微妙に土地の起伏有り。その昔は戦略上有利な場所だったんだね。
表示があるのがせめてもの救いですが、面影はありません。
| 名前 |
家原城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
2.7 |
| 住所 |
|
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三好長慶や松永久秀、更には上杉謙信というビッグネームが案内板に登場します。遺構は残っておらず城跡を示す碑と門を模したものが整備されています城好きな方なら近くに行かれるついでに見られると良いと思います。あとロゴはなんだか既視感あります(笑)【以下案内板から】16世紀中頃は、三好長慶が近畿・四国地方で九ヶ国余りを制圧し、和泉国もその支配下にありました。しかし、永禄8年(1565)以降、三好長慶の重臣であった松永久秀が、長慶の後継者である三好義継を擁する三好三人衆と対立するようになり、家原城においても対立した状況が、以下の資料でわかります。「細川両家記」によると、永禄9年(1566)2月、家原城には松永方の和泉国の侍たち(泉州衆)がたてこもっていました。泉州衆は城を出て、堺を出撃した畠山高政と合流し、上芝(現在の上野芝)で三好義継の軍勢13000と戦いますが、敗れて岸和田城に逃れました。永禄11年(1568)9月には、織田信長の勢力が、三好三人衆を破り、畿内を平定しました。しかし、「細川両家記」によると、同年12月には、三好義継の家臣の画差衛天実・ささべじひょうえのじょう雀部治兵衛尉らがたてこもる家原城が、京都奪還を目指す三好三人衆に攻められ落城します。この戦いは、翌年の2月27日に上杉謙信にも伝えられました(『上杉家文書」)。家原城から逃れた人々は、踞尾、家原に住み着いたといわれています。現在は、大幅に地形が改変されていますが、大池に面した部分にかつての家原城の面影を見いだすことができます。家原城跡は戦国大名の三好氏ゆかりの中世の山城跡です。永禄11年(1568)12月に、合戦によって家原城は落城します。