歴史感じる石津神社の戎宮。
石津神社の特徴
熊野街道沿いに位置し、日本最古の戎宮とされる神社です。
石津神社には願い事を唱える板が設置されており、独自の文化があります。
創建は紀元前469年とされ、豊かな歴史を感じられる場所です。
実家の近くの神社で昔から良く利用してました。
日本最古の戎宮wikiを読むと伝説の第5代孝昭天皇創建とか(BC469)その後江戸幕府第5代将軍徳川綱吉から朱印地を賜わったとか(1697)北畠顕家の石津の戦いに関係有るのかと思うも違うようで近いだけ?車で行くのは少し路地が危険ですが敷地内に乗入れ可?
七五三、えべっさん、初詣、賑わってます。立派な神木、何百年かの楠木、ここの一番、神社におられる女の方案内して下さる方が最高にいい方☺️
和泉国の式内社、石津大社とも呼ばれる「日本最古の戎宮」と称している、えびす神は一般的に耳が遠いとされており石津神社では本殿横に木槌で叩いて願い事を唱える板が設置されております、大祓の時期には茅の輪が備えられる、創建は孝昭天皇7年8月10日(紀元前469年)、祭神は八重事代主神、大巳貴神、天穂日神、野見宿称神、菅原道真公。
幹線道路沿いに在ります。以前は幹線道路にも集落が在ったのだと思います。
元々は石津・石津太のどちらかが本社・摂社(分社)と言う関係の神社だったと思われます。石津太神社でも書き込みましたが、『日本最古の戎宮』と言うのも、西宮神社の起源は、ざっくりと『沖合に出現した蛭子命の御神像』で、石津・石津太神社は『葦船で流された蛭子命降臨の地』という事です。御参拝されるのなら、両方とも参りましょう。
石津太神社と同じく日本最古の戎宮を主張する神社祈願板はこちらにしかなかったような。
延喜式内社。御朱印は書き置きでしたが、参拝した日にちを皇紀二六八一年弥生二十六日と書いてくださいました。年号を皇紀で表されたのは初めてだったので感激。御朱印料は「こころ付け」で。
【 石津神社(上石津神社・うえいしづのやしろ)】参拝させて戴きました。御本殿向かって右側奥に猿田彦大神様の社が御座いました。ありがとうございました。
| 名前 |
石津神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
072-241-0935 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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石津神社(いしづじんじゃ)。大阪府堺市西区浜寺石津町。式内社(小)石津太社神社(イハツタノ)論社、旧社格不明。主祭神:八重事代主神・大己貴神・天穂日神相殿神:誉田別神、伊邪那美神、白山比賣神、水分神、高野神、高龗神【関係氏族】石津連延喜式当時は、石津連がその祖神・天穂日命を祀った氏神社だったと思われる。資料によると、同市西区浜寺石津町中の石津太神社とともに、式内小社「和泉国大鳥郡 石津太神社」の論社。石津大社とも呼ばれる。えびす神は一般的に耳が遠いとされており、石津神社では本殿横に木槌で叩いて願い事を唱える板が設置されている。日本最古の戎社という。蛭子命がこの地の海岸に漂着し、命が携えてきた五色の神石をこの地に置いたことから石津という。往昔石津村が上と下に分離した時、一方に本社が、一方に御旅所などがあったが、分村したときに各々それを氏神として奉斎し、その後どちらが本社か不詳となったものか。堺県の時に両社正潤の紛議あったが決定していない。約六百坪の境内には大楠四株がある。1909年(明治42年)の神社合祀で、神石村大字市の六所神社を合祀し、相殿神として祀られている。とあります。