太安万侶の墓、古事記の地。
太安萬侶の墓の特徴
急な坂を登ると、茶畑に囲まれた美しい景色が広がります。
太安萬侶の墓は、古事記の編纂者が眠る歴史ある場所です。
整備された手すりや、綺麗なトイレが設置されています。
太安万侶さんのお墓。稗田阿礼から聞いた物語を古事記として書いた方。入り口にはトイレあり、道が広くなっているので、お墓参りだけなら駐車できます。坂は結構急勾配ですので行き帰りとも注意。お墓から見る眺めは中々綺麗です。
古事記を執筆した人が、なぜこんな山の中に(失礼)葬られたのか。現地に到着した際に、真っ先に感じた思い。コンクリート舗装の遊歩道はかなりの急登で脚力のない人は墓に到達するのも一苦労でしょう。火葬であり、墓誌も遺されていた。私が知らないだけかもしれないが、日本の墳墓にはあまりないような。
ここに来ると気持ちが安らぎます。太安万侶さんのお墓のある山の反対側の茶畑が8月とかだと緑一面でとても綺麗です。
古事記の著者(稗田阿礼の暗唱からの書き取り)太安万侶の墓です。以前より古事記の太安万侶は実存しない人、との歴史学者の考えが有りましたが、昭和54年に茶畑から偶然に発見された墓が正式に太安万侶の墓と発表されました。本人の骨、副葬品の真珠、及び銅板の墓誌も発見され、名前、住所、役職、死亡年、全てが古事記の記述と一致、確認となりました。墓は綺麗に整備されてますが道から墓まではかなりの急坂を約70メートル登らなければなりません。登り口にはトイレも有ります。専用の駐車場は有りませんが、道の広くなった所に三台停められます。古事記に興味ある人には絶対的な場所だと。
日本史の教科書にも載っている有名な方のお墓で、偶然発見されたことが大きなニュースとなり、山の斜面は歴史ファンで大渋滞をしている映像を見たことがありました。今ではひっそりとそこにあります。手すりを頼りに急坂を登り、見晴らし台からの景色を楽しみながら、古都奈良には誰も知らずに眠り続けているお墓が、まだ他にもたくさんあるのかなぁなんて考えてみたりしました。
学んだことがある人が多いはずの歴史的人物にしては、管理の面では少し寂しさを感じる雰囲気です。個人的には歴史を身近に感じることができて感慨深く感じました。トイレはきれいに保たれてて地域で大切にされているのかなと感じました。車道からは、かなりの急斜面を登ります。帰りに降りられるのか不安になるくらい急です。整備されていますが、枯れ葉などで滑りそうにはなります。靴底は選ぶ場所です。
日本書紀を編纂された方の墓所。昭和に偶然発見されたことが新聞を賑あわせた。当時一級の学者であった方のお墓、奈良の町から遠く離れたこの地で、眠ることにはどんな意味があったのだろう。彼の功績に思いを馳せながら、ジリジリと照らす夏の陽射しの中、急な坂道を滑り落ちないように、慎重に降りました。
少しだけ路肩に車を停めて歩いて向かいました。登口は新しい公共トイレが目印です。向かうまでの上り坂は短いですがとても急です。墓所の雰囲気は落ち着いていました。
昭和54年(1979年)に茶畑の改植中に偶然見つかった火葬墓です。奈良県立橿原考古学研究所が調査し、墓誌から記紀『古事記、日本書紀』の編纂したとされる太安万侶の墓であることが分かる歴史的な発見がありました。車一台がやっとの狭い道路を通ってたどり着くのですがトイレ横に1、2台停められる駐車スペースが有ります。車よりはトレッキング向きの長閑な田園にある観光スポットといった感じです。トイレや歩道も綺麗に整備されていて急な坂道を登りますが距離は無く茶畑からの眺めも良かったです。田原地区は映画『殯の森』の舞台でもあります。多(太)氏は皇別氏族屈指の古族で九州を始め多くの後裔があり本流一族が住んだ奈良県磯城郡田原本町多の『多坐弥志理都比古神社(多神社)』には安万侶を祀る“小社神社“や寺川の興仁橋近くに墓だとされていた参り塚があります。出生には不明な点が多い安万侶ですが支流の都祁直出身で生まれ故郷に葬られたようです。橿原考古学研究所の附属博物館では墓誌や真珠、墓の復元模型などが常設展示されています。
| 名前 |
太安萬侶の墓 |
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| ジャンル |
/ / |
| HP |
https://www.pref.nara.jp/miryoku/aruku/kikimanyo/column/c12/ |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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山の中腹にあり登って行くのに一苦労しました。景色も良く故人が眠るには良い場所と思います。