歴史感じる静謐な丹生神社散策。
丹生神社の特徴
ふれあいの館の近くで、散策に最適な場所です。
明治期に変わったが、歴史を感じる堂々とした神社です。
丹生大師と地続きで、静かな佇まいが魅力的です。
丹生神社(にうじんじゃ)。三重県多気郡多気町丹生。式内社(小)、旧村社。主祭神:埴山姫命(はにやまひめのみこと、土の神)(配祀)美津波女命 (合祀)天照大神 栲幡千千比売命 武甕槌命 斎主命 ほか【関係氏族】丹生氏【祭祀対象】水銀採取の土神【境内社】丹生中神社(にゅうなかじんじゃ) - 祭神:金山彦命・金山比女命ほか資料によると、創祀年代は未詳であるが、『丹生太神宮之儀軌』に天地開闢以来この地に坐すとある。丹生山神宮寺に隣接して鎮座する。丹生神社の神宮寺として建立されたはずだが、むしろ神宮寺別当が殆んど神社を支配していたと思われる。当地は水銀の産地として名高く、続日本紀に伊勢国より朱砂・水銀が奉献されたとの記事がある。水銀の産出は、遠く奈良時代に遡ることができ、聖武天皇が東大寺大仏殿の建立のさい、水銀の産出をこの地の神に祈ると忽ち水銀が湧出したという。丹生神社の御祭神は、古来その守護神として当社に奉齋せられた土神たる埴山姫命であつたと思われる。天正年間の兵乱により本社炎上し、豊臣秀吉は、造船用材として当社の神木を伐採、蒲生氏郷は、天正13年以後3年間にわたり、当社の神木を伐採して松坂城の建築用材に使用した。歴代の紀伊藩主は本社を厚く崇敬し、参拝の上、神供料を献ずること二回に及んだ。また、この地の富商であつた長井氏一族は当社の維持発展に尽力した。境内には伊勢椿の原木とされる椿がある。とあります。
丹生大師に隣接する丹生神社は古くから雨乞い祈願の社として信仰されてきました。延喜式神名帳に記される由緒ある神社で、椰子の木を御神木としています。
継体天皇16年(523)に鎮座したと伝えられている元式内社。聖武天皇が東大寺大仏殿建立の際、水銀の産出をこの神に祈るとたちまち水銀が湧き出したので丹生明神と名付けたとのこと。実際近くには丹羽水銀鉱跡があり、東大寺大仏造立の際に使用された水銀の3分の1はこの場所の産出だったようだ。
奈良県の丹生三社、和歌山県の丹生都比売神社、三重県の丹生神社、いづれの場所も水銀を含んだ鉱物が採掘されていたか関連のある地域ですね。壱の鳥居を抜けると真っ直ぐな参道が木々に覆われ姿見の池に咲く蓮の華が綺麗です。明るく開けた所に、立派な拝殿と平入に庇の付いた神明造の本殿があって、参道から本当に美しく整備されていて心地良さを感じます。梛の木が御神木との説明に、和ぎにつながる事からとあり確かに和む雰囲気がありました。延期式内の由緒正しい歴史のある神社です。
ふれあいの館の近くにあり、散策に良いです。
明治期に色々変えちゃってるけど。
お寺と神社が同じ敷地に在るちょい珍しく、ちょい散歩に良い所写真は昨年11月。式年遷宮が終わったから、建物の木が新しかった私は、お向かいに有るふれあいの館が好きなんだ〜いわゆる、道の駅みたいな感じ。
無人ですが、歴史ある堂々とした感じの神社です。御朱印は、隣のお寺の社務所で、書き置きをもらえます。
神社は神宮寺のとなりにあるが通常時は無人のようで、ご朱印はふれあい館でいただくことができます。
| 名前 |
丹生神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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丹生神社の創建年代は社伝によると継体天皇六年(523年)という、往古より水銀の産地として名高くこの地の守護神として奉斎されていました。主祭神の埴山姫命をはじめとして、配祀神の彌都波能賣神・天照大神など多数の神さまを祀っています。社殿は本殿神明造りで拝殿・社務所・御供殿・宝庫・貯木屋があり境内社として丹生中神社があります。「延喜式神名帳」の多気郡五十二座搭載の一社にも数えられる神社で室町時代以降は伊勢国の国司北畠氏(村上源氏の一流)はじめ伊勢国松阪藩第二代藩主古田重治、歴代の紀州藩主八代(徳川家)から篤い尊崇をえていた。丹生神社は明和年間(1764年~1772年)以降今日に至るまで社殿造営には神宮式年遷宮の際に拝領した古殿の用材を利用するのを慣例としている。明治四十一年(1908年)に当社境内社の高野神社など二十四を丹生神社に合祀している、