歴史ある桜宮で心癒す。
宇爾櫻神社の特徴
緑が豊かでのどかな穴場スポットです。
階段を上がると素敵な神殿が待っています。
令和元年の天王祭りのかんこおどりが披露されました。
宇爾櫻神社(うにさくらじんじゃ)。三重県多気郡明和町有爾中。式内社(小)、旧村社。境内 式内社 伊勢國多氣郡 大海田水代大刀自神社(アマタミツシロヲホトシノ) 権現社(豊玉姫社)主祭神:木花之佐久夜姫神配祀:建速須佐男命 天忍穗耳命 天菩卑能命 ほか資料によると、創祀年代は不詳だが、式内社・宇尓櫻神社に比定されている古社。平安時代には神宮の祈年祭や新嘗祭に預かり、座別祭料として絹、木綿、麻、庸布、楯、鰒などが供進されていた。江戸時代には有爾中村の北部に鎮座し、櫻宮、あるいは櫻社と呼ばれていたが、田圃に接して神域を穢すおそれがあるとして、明治六年八月十五日に現在の合戦田の地に遷座。当地に祀られていた天王社を合祀して櫻神社と改称。『神社検録』では、天王社の鎮座していた現在地を式内社・宇尓櫻神社の古跡とする説があるらしい。明治十五年七月二十八日に有爾中村蓑村に遷された度会郡世古村の八柱神社の分霊を九月二十六日に合祀して村社に列し、明治四十年六月三十日、上野の村社仲神社、無格社森本神社、新茶屋の村社八柱神社、境内社火除神社の五社を合祀。明治四十四年五月二十二日、宇爾櫻神社と改称した。なお合祀された仲神社は、昭和二十年古社地に分祀されている。当社例祭には、宝暦年間(1751~1764)発祥といわれる天王祭とも呼ばれる羯鼓踊りが奉納される。『式内社調査報告』によると、宇仁村(現在の有爾中村)の宇田という地にあった小清水社を式内社・大海田水代大刀自神社とする説があり、明治三十五年の「無格社大海田水代大刀自神社御由緒」には、その小清水社は櫻神社(当社)境内に権現社として祀られているとあるらしい。『勢国見聞集』『伊勢国式社纂記』には、大海田水代大刀自神社の祭神は豊玉姫命とあり、豊玉姫命を祀る祠が権現社なのだろうか。「海田」「刀自」から海神の女神ということだろうか。とあります。
しっかりと護られている神社です。スタンプラリーの1つでありご朱印は竹神社でいただけます。ただ行き方が分からないが右折していいのか❓️案内看板があるとありがたい。
宇爾櫻神社(うにさくら じんじゃ)御祭神は木花佐久夜姫神(このはなさくやひめかみ)合祀された御祭神は建速須佐男命、天忍穗耳命 、天菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須比命、多紀理姫命、市寸嶋姫命、多伎都姫命、神八井耳命、不詳一座延喜式神名帖伊勢國多氣郡五十二座の一つで歴史と由緒ある神社。創祀年代は不詳、式内社・宇尓櫻神社に比定されている古社。平安時代には神宮の祈年祭や新嘗祭に預かり、座別祭料として絹、木綿、麻、庸布、楯、鰒などが供進されていた。江戸時代には有爾中村の北部に鎮座し、櫻宮、あるいは櫻社と呼ばれていたが、田圃に接して神域を穢すおそれがあるとして、明治6年8月15日に現在の合戦田の地に遷座。当地に祀られていた天王社を合祀して櫻神社と改称。明治15年7月28日に有爾中村蓑村に遷された度会郡世古村の八柱神社の分霊を9月26日に合祀して村社に列し、明治40年6月30日、上野の村社仲神社、無格社森本神社、新茶屋の村社八柱神社、境内社火除神社の五社を合祀。明治44年5月22日、宇爾櫻神社と改称した。なお合祀された仲神社は、昭和20年古社地に分祀されている。『神社検録』では、天王社の鎮座していた現在地を式内社・宇尓櫻神社の古跡とする説があるらしい。『式内社調査報告』によると、宇仁村(現在の有爾中村)の宇田という地にあった小清水社を式内社・大海田水代大刀自神社とする説があり、明治35年の「無格社大海田水代大刀自神社御由緒」には、その小清水社は櫻神社(当社)境内に権現社として祀られているとあるらしい。『勢国見聞集』『伊勢国式社纂記』には、大海田水代大刀自神社の祭神は豊玉姫命とあり、豊玉姫命を祀る祠が権現社なのだろうか。「海田」「刀自」から海神の女神ということだろうか。古事記に出てくる「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)」、日本書紀では「木花開耶姫(このはなのさくやびめ)」など必ず出てくる美しい女性であったようです。地元の方々から愛されている神社で、宝暦年間(1751~1764)発祥といわれる天王祭とも呼ばれる羯鼓(かんこ)踊りが奉納される。
緑がいっぱいでのどかな、穴場っぽい場所にありました。たくさん光がさして気持ちの良い空気が流れている神社です。階段を登って、すこし高い場所にあります。なかなか場所が分からなかったので道ゆく地元の方に聞きながら向かったのですが、どなたも快く気さくに教えて下さいました。地元の方に大切にされている神社というのがとても伝わってきました。
階段をあがると神殿があり、とても素敵な場所でした。静か、スピリチュアルなものをガンガン感じました!
令和元年7月14日天王祭りがありましたかんこおどり披露。
| 名前 |
宇爾櫻神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63387 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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見つけました「桜宮」。鳥居前に2台程の駐車スペースがあります。心やすらぐ境内でした。ヒタカミの地での英才教育を終え、ホーム蓬莱(ハラ)宮に戻ったアマテルさん。老朽化したハラ宮(現富士市・潤井川から富士川辺り?)を新しくし、ヤスクニ宮としました。新装ヤスクニ宮にて即位。アマテル朝がスタートします。次に遷都した先が「イサワ宮」。現伊勢市磯町辺り?このイサワ宮は「妹背宮」「日夜見宮」とも呼ばれたようです。イサワ宮南殿の橘宮(タカマ)は外宮として政を執り行い、東殿の大内宮はアマテルさんの御座所、后の住まいであったといいます。その大内宮の庭に桜の木を植えた方がおられたそうで、その桜は代々咲き誇ったと伝わります。「花咲か爺さん」のモデルになった方だとも。その花咲か爺さんこと櫻大刀自(サクラノオオトジ)神がきっとタカマの近くに祀られているはずと「桜宮」を探しました。恐らく当社だと思われます。初代大山祇神で「相模国の主」のサクラウチ神こと櫻大刀自神。イサワ東殿大内宮に「桜を打つ者」としてそう呼ばれました。ハラ宮では「大老翁/うおやおきな」としてイサナキ・イサナミ二尊に、アマテル朝では右臣となって仕えたというサクラウチ神。まさに国家の下支えをなさった方のようです。アマテル内宮セオリツ姫ホノコさん、十二后のおひとり若櫻姫ハナコさん、二代大山祇オオヤマカグツミさんの父でもあり、孫嫁にタギツ姫タキコ(相模江ノ島姫)さんがおられ、子の花咲肥姫(アシツ姫)、イワナガ姫(貴船結社)は曾孫にあたるといいます。サクラウチ(櫻大刀自)→オオヤマカグツミ(大山橘統)→カグヤマツミ(橘山統)→カゴヤマ(天香語山)タクリ→タカクラシタ(高倉下)タクラマロ彌彦神※タクラマロさんは叔母(タクリの妹)アメミチ姫&彦火明彦命の御養子となる当社祭神コノハナサクヤ姫、原初は、櫻大刀自=櫻大人翁=サクラウチ神を祭祀したと思われます。あとはアマテル八王子が並びます。山形庄内町・小月山神社、山梨富士吉田市・小御嶽神社、千葉香取市・櫻大刀自神社(香取神宮末社)など、東日本にサクラウチ神を祭る神社さんが多く見られる中、当社は貴重なレアシュラインだと思います。それにしてもいいところでした。