吾妻氏の歴史を感じる!
稲荷城跡の特徴
鎌倉初期に築かれた、歴史ある稲荷城跡です。
吾妻太郎行盛が生まれた場所として有名です。
岩櫃城の防衛支城として改修された遺構が魅力です。
①鎌倉初期に吾妻氏が築き、吾妻太郎行盛もこの地で生まれたとされる。吾妻太郎行盛が里見氏との争いに敗れた後、実権を掌握した大野氏の、室町時代の居城とされ…大野氏は家臣の斎藤氏に滅ぼされ、やがて、斎藤氏は岩櫃城に君臨する。②城跡への道は、稲荷神社の社殿西側の藪の中から続いていて、空堀、土塁などの遺構は想像以上にはつきりと残っている。宝くじに当たったような興奮を覚えながら、高い土塁上の一角に立ち、林立するスギを透かして俯瞰してみると、本郭跡は正方形ではなく、変則的な形をしていることが分かる。手の届く距離に人家があるのに、深い静寂に包まれた非日常の世界を見回しながら、あれこれと想像に耽っていると、激流に流される小舟のように時が過ぎ去って行く。案内板なし。🅿️なし。2025/1/28
2019/4/29とても良好に遺構が遺っており、薮もほぼないことから見学しやすい。主郭の周りの土塁や堀はほぼ完ぺきに遺っている。これほどしっかりと遺っている割にはこの城の歴史は不明らしい。
| 名前 |
稲荷城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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吾妻郡を治めた吾妻三家(大野・塩谷・秋間)の大野氏の居城と伝わるが、現在の姿は戦国時代に岩櫃城の防衛支城として改修されたものであろう。四万川と須郷沢川の間の舌状台地の先端に位置する。34×17の五角形の主郭は高さ4mの土塁が全周し、北を除く三方は幅13mの堀切で守られ、他に3つほど土塁で区画された郭が周囲を守る。入口には2軒の民家があるので、私有地や耕作地には絶対入らない事。行き会ったら挨拶を忘れずに。