本居宣長の歴史を感じる旧宅。
本居宣長旧宅の特徴
本居宣長が72歳まで過ごした、貴重な和式の旧宅です。
本居宣長記念館のすぐ隣に位置し、訪問しやすい施設です。
1909年に移築された歴史深い書斎が体験できます。
江戸時代の国学者本居宣長の旧邸を松阪城内に移築したもので、資料館と一緒に見学できます。見学後は松阪城内に出れるようですね。現代に名を残す学者の本居宣長という人の著作は、当時はそれだけで食っていけるほどは売れていなかったようで、医者として松阪から伊勢にかけて往診をしていたようですから、学者というよりは医者の旧宅のように感じます。ただ、仕事のオンオフを切り替えるためか、2階は著作と研究専用にしていたらしく、2階は見れないものの2階に続く階段は見ることができます。できる人はそういう所が違うのでしょうね。
江戸中期の国学者である本居宣長が住んでいた建物であり、松阪市街地から記念館のあるこの場所に移築されて今日に至っている。特別史跡指定。建物そのものは商家の佇まいだが2階は書斎となっており、ここで古事記伝を30年もの時間をかけて書き上げている。本居宣長は全国の鈴を収集するほどの鈴好きであり、作業の合間に鈴を鳴らして心身の疲れを取っていたという。それが「鈴屋」の由来である。ちなみに執筆作業に集中すべく2階への階段は取り外し可能だったとのこと。ここに入る際、本居宣長記念館の入場料が必要となるので事前に記念館に行く必要がある。記念館で本居宣長に関する教養を吸収した後にここを訪れるとより深い感動を味わえるだろう。
本居宣長の旧宅。城下から移築したもので、うなぎの寝所のような間口が狭く奥に長い建物になっています。2階の書斎は外から覗けます。一階は靴を脱げば畳に上がることもできますが、一部の板の間には上がれません。昼夜をここで過ごした宣長の生活が目に浮かぶようですね。
国特別史跡2023年9月中旬、松坂城周辺探訪の際に行きました。松坂城隠居丸にあり、「本居宣長記念館」の展示の一つのため見学は有料です。中は一階は見学できますが、書斎があった二階は不可で屋外から眺めることはできます。なぜ現地ではなくこちらにあるかというともともと商業地の魚町にあったのですが、1893年の「明治の松阪大火」で町の中心部が火の海になったことにより保存するには移築した方がよいとの判断になったからだそうです。また入口の説明板には—————————————————————特別史跡「鈴屋」この「鈴屋」は、江戸時代中頃の国学者本居宣長が、その少年時代より没するまでの、生の大半をすごした家です。木綿などを商った宣長の祖先によって、職人町に隠居屋敷として建てられたこの家は、宣長の頃には魚町に移されていました。したがって当時の松阪の商家とは、いささか構造が異なり、坪庭を中の間の前に配した独特の造りとなっています。この家に宣長が母と兄弟と共に移り住んだのは、父のなくなった翌年十二歳の時で、二十八歳からは、通りに面した「店の間」で医業をひらき、夜は奥中の間などで古典講釈や歌会をしたと伝えられています。「古事記伝」の執筆も半ばをすぎた天明三年五十三歳の折、先生は二階の物置を改築し、四畳半の茶室書斎とします。三十六個の小鈴を赤い緒で連ねた柱掛鈴をかけ「朝夕に取出づる書」の一字ずつをとった十二の本箱を置いたこの部屋は、やがて「鈴屋」とよばれ、その名称は宣長の学問と共に全国に喧伝されたのです。その床には、師賀茂真淵の忌日になると、「県居大人之霊位」(真淵先生の御魂)と自分で書いた軸をかけ、厳しかった亡き師をしのんだと伝えらています。この家のあった魚町は、参宮街道に近い、当時の松阪の商業の中心で、向いには豪商「長谷川邸」(現存)もありました。宣長の没後も子孫はこの家に住んでおられましたが、明治四十二年当主本居清造翁の英断をもって、保存と公開のため松阪城跡の現在地に移築され、若干の復原をおこない現在に至っています。—————————————————————とあり派手さはないものの、家族で暮らすには適度な広さ、設備だと思いました。
元々、魚町にあったこの住居を火災等から守るために松阪城内の敷地に移したとのことです。二階の書斎に鈴を置いたことから鈴屋と呼ばれるようです。魚町にこの住居があった当時、ここで家族を養いながら、古事記伝等の研究に没頭したようですが、どのような想いだったんでしょうか?大変には違いないですが、楽しまれていたのではと推察します。わからないことが解き明かされて過程ほど楽しいことはないと思いますので。ここを見学するためには、記念館で入場券を購入する必要があります。
本居宣長の自宅を移築した施設です。入場料は本居宣長記念館と共通です。所要時間は10分かかりません。古民家としては展示物等はなく市内に有名な施設が3つあるため、特に目を引くことはありません。本居宣長の自宅という点で貴重なので、記念館と合わせて立ち寄ってはいかがでしょうか。
城内に移築されたのが明治42年(1909年)なので、移築から今年で113年になるんですね。そう考えると、当時としては先進的な取り組みだったのだろうと思います。なお、本居宣長が53歳の時に2階に増築した4畳半の書斎「鈴屋」は見学できませんが外から見ることができます。
本居宣長記念館に来訪される際はこちらにも是非お越しください。
本居宣長記念館のすぐ隣に鈴屋があり、宣長が12歳の時から72歳で亡くなるまで住んでいた家です。宣長の仕事は町医者で昼間は薬箱を持って患者さん宅を回り、夕方は源氏物語や万葉集等の講釈をしてました。当時の部屋の静けさ・暗さが再現され、勉強に疲れた時に鳴らす鈴を掛けたことで「鈴屋」の名が付きました。
| 名前 |
本居宣長旧宅 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[火水木金土日] 9:00~17:00 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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本居宣長旧宅は、江戸時代を代表する国学者・本居宣長が12歳から72歳で亡くなるまで暮らした住まいです。国の特別史跡に指定されており、現在は松坂城跡の隠居丸に移築保存されています。書斎の名にちなみ「鈴屋」の名で広く知られ、宣長が生涯をかけて学問に打ち込んだ場所として、多くの人々が訪れる松阪を代表する史跡の一つです。この家は、もともと元禄4年(1691)に宣長の祖父が養母の隠居屋敷として建てた町家で、享保11年(1726)に魚町一丁目へ移築されました。宣長は父の死後、寛保元年(1741)に母や兄弟とともにこの家へ移り住み、その後、本居家の居宅として明治時代まで受け継がれました。明治42年(1909)、建物を後世へ保存するため現在の松坂城隠居丸へ移築され、前庭なども旧宅の姿を参考に整備されました。建物は江戸時代の商家らしい造りで、一階には店の間や居間、台所、座敷などが並び、当時の町人の暮らしを今に伝えています。そして最大の見どころが、二階に設けられた書斎「鈴屋」です。宣長は天明2年(1782)、53歳の時に物置を改造してこの書斎を増築しました。「鈴屋」という名は、床の間に掛けた一つの鈴に由来するとされ、この静かな空間で『古事記伝』をはじめとする数々の名著が執筆されました。本居宣長は、賀茂真淵との「松阪の一夜」の出会いを契機に国学の道へ進み、日本古典の研究に生涯を捧げました。なかでも35年の歳月を費やして完成させた『古事記伝』は、日本思想史に大きな足跡を残した名著として知られています。宣長が日々机に向かい思索を重ねた鈴屋は、日本の学問史を語る上でも極めて重要な場所といえるでしょう。旧宅の周囲には、明治42年の移築にあわせて建てられた鈴屋遺蹟保存会旧事務所・倉庫・正門・塀が残されており、いずれも国の登録有形文化財となっています。旧事務所や正門には、当時の近代建築家による意欲的な意匠が取り入れられ、歴史的建造物として高く評価されています。現在、旧事務所は茶席「桜松閣」として活用され、旧宅とともに落ち着いた景観をつくり出しています。松坂城の石垣を巡った後に鈴屋を訪れると、戦国武将・蒲生氏郷が築いた城の歴史と、本居宣長が育んだ学問や文化の歴史が一つの場所でつながっていることに気づきます。城跡というと武将や戦の歴史に目が向きがちですが、この地は日本を代表する思想家が暮らし、多くの名著を生み出した文化の舞台でもありました。歴史と文学、そして学問が静かに息づくこの旧宅は、松阪の奥深い魅力を伝える貴重な文化遺産です。