静けさと歴史を感じる、長沼山の旅。
万徳寺の特徴
清州城の移築城門がある静かな佇まいのお寺です。
娘を連れて、牡丹や芍薬が見られる時期に訪れるのが楽しみです。
多宝塔や鎮守堂は国指定の重要文化財です。
2021年11月中旬に初めて行きました。その日、エントリオでスポーツ観戦後、国府宮に参拝する予定で稲沢駅に着いた際、近隣の案内板にこちらに重要文化財の多宝塔があることを知り、寄ることに住宅地の中にひっそりあります。多宝塔は同じく重要文化財の密蔵院(春日井市)にある多宝塔と印象重なりましたが、歴史を感じさせる美しい塔です。当時、他に参拝される方はいなかったこともあり、のんびりと参拝することができました。こちらは牡丹が有名とのことなので次回は牡丹の花が咲いた時期に行こうと思います。
清州城の移築城門があると聞き訪れました。他にも重要文化財の多宝塔等があります。場所は住宅街の中にありました。
昨日初巡礼に伺いました。名古屋廿一4番札所延命院様と大名古屋八十八カ所50番札所の末寺であり広々とした境内でした!光松住職様お世話になりました🎵
長沼山 萬徳寺。別名牡丹寺さん。多宝塔見事です。
山号「長沼山」 院号「華王院」正式名「長沼山華王院満徳寺」ご本尊「聖観世音菩薩 阿弥陀如来」真言宗豊山派の仏教寺院です。奈良時代の神護慶雲2年(768年)に勅願で創建され、弘法大師が再興した寺院として知られています。山門は清洲城の通用門を移築したものと言われています。重要文化財の多宝塔 様式・技法等から室町時代後期の建築と推定され、下層三間四方、内部に二本の円柱を立て来迎柱とし、前に仏壇を置く、屋根は宝形造、檜皮葺とし頂きに相輪をあげた建造物があります。
住宅地の中ですが、静かな佇まいのお寺です。お留守だったのかな?御朱印セットが玄関の外に置いてありました。ちゃんとおおさめしましたよ。
ネットで、仏教版ガネーシャの歓喜天があるとの情報を見て行きましたが、どこにあるかわかりませんでした。文化財の塔は見応えがありました。石像が沢山あるゾーンは荒れてましたが、色んな像がありました。車で行きましたが、敷地内の砂利ゾーンにテキトーに停めました。
御朱印を頂きに伺いました丁寧に対応していただきました静かな感じで落ち着いていました東海三十六不動尊第4番尾張三十三観音第17番。
牡丹の花は終わっていましたが、芍薬の花がちらほら、蕾もあったのでもう少ししたら見られそうです。多宝塔(修繕工事中)、鎮守堂は国指定重要文化財。
| 名前 |
万徳寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0587-32-0068 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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長沼山萬徳寺といい真言宗豐山派のお寺で御本尊は阿弥陀三尊になります。神護景雲二年(762年)に僧慈賢が創建し草堂に阿弥陀三尊を安置したのが始まりと伝えられています。女帝の称徳天皇(孝謙天皇が重祚して称徳天皇となる)が萬徳寺を官寺としたといいます。その後鵜沼川の洪水で寺は荒廃していたが承和元年(834年)に真言宗の宗祖弘法大師空海が再建したと伝わる。その後の天暦年中(947年~957年)の火災や、永祚年中(989年~990年)の大嵐で寺は再び荒廃したが建長六年(1254年)に僧常円が再興し中興開山となっている。亀山天皇の保護を受け寺の伽藍を整備し境内に多宝塔を建立し大日如来像を安置した、天正二十年(1592年)には駒井重勝公や徳永寿昌公より寄進を受け文禄四年(1595年)には豊臣秀吉公からも寺領五百三十石の寄進を受けた、代々の尾張藩主も寺領を安堵していた。江戸期には京都醍醐寺報恩院の末寺で尾張真言宗大本山として末寺五十三ケ寺を有したが昭和四十四年(1969年)の火災で本堂や客殿を焼失しているがその後再建されています。