前田利家の生誕地、歴史の息吹。
荒子城跡の特徴
前田利家の生誕地として多くの方に知られる場所です。
茅葺き屋根の家を眺めながら歴史を感じられる散歩道です。
権現公園や小さな神社が点在し、静かな雰囲気が漂います。
2026/04/05 (日) 訪問。前田利家公の生誕地に訪問出来、感無量です。
加賀百万石の祖、前田利家の生誕地荒子公園とは少し離れています。
前田家ゆかりの城跡、利家公誕生の地です。荒子観音の山門を出た所に200m先との案内看板があり、それに沿って歩いていくと所々にある看板に導かれ着きました。宮司も社務所もなく今は小さな町の神社の姿しかありませんが、築城当時からこの神社はあったようです。静かに参拝させていただきました。御賽銭箱の前に石があり、上がって御賽銭を入れる形になるのは珍しいですね。正月飾りや御札の処分方法を説明する看板がありましたが、これで大丈夫なのでしょうか…。
あらこじょうと読む。現在は富士権現社の神社になっている。前田利家生誕の地と言われている。
荒子観音から徒歩数分。別名犬千代ルートで歩きました。入り組んだ道なので所々で看板があって心強かったです。「利家とまつ」を思い出しながら歩きました。
2025.5.4 荒子観音へお参り後、前田利家生誕地案内看板を頼りに徒歩で南へ。こっちでよかったのかと迷いながら「犬千代ルート」をたどって、西へ曲がるところに再び看板。荒子観音からゆっくり歩いて6~7分。荒子城という存在も初めて知りました。知らないことを知ることはいいことです。荒子観音へ戻る道は、そのまま北へ行けばなんとかなるだろうと。そうしたら東へ曲がるところに看板!東へ曲がったら荒子観音へ着きました。荒子観音から南へ行っても、西へ行っても看板があり、荒子城跡(冨士天満社)へ着きます。
2024年9月初訪問。前田利家さんのお父さんの利昌さんが織田家からこの辺の土地を給わった際に築城したとのことで、利家さん生誕の地とも言われています。が、前田家は元々、ここから西に行ったところにある現在の近鉄伏屋駅周辺に所在した前田城が本拠地だったので、利家さんも生まれはこちらの荒子城ではなく前田城だったのではないかという説もあります。城跡は完全に平地で全く防御に適さない立地です。そして東西68m、南北50mほどの面積(1000坪くらい?)の城だったとのことで、現在、城跡に建立されている神社の敷地とほぼ同じくらいかなと考えると、非常に小規模な城であり、ここは城というよりお屋敷だったと考えるほうが妥当ではないかと思いました。今は石碑があるくらいで、他に何があるというわけでもありませんが、信長さんに重用され、勝家さんに可愛がられ、秀吉さんはじめ豊臣恩顧の武将たちに信頼され、家康さんにも一目置かれた、戦国時代きっての名将 前田利家さんゆかりの地でありますので一度は訪れてみる価値はあるのではないかと思います。
この地の武将だった前田利昌(前田利家の父)が築城し、その後前田氏の居城となった城です。前田利家が、ここで生まれ育った説と、ここから数Km西に行った所にあった前田城で生まれ7歳の時に移り育ったという説もあります。前田利家・利長が越前に移ったのちに廃城となりました。現在、城趾は富士権現天満宮になっており、遺構などは残っていません。
真田戦記荒子城跡荒子城跡は天文年間に前田利家の祖父、前田利昌が築城しました。その子利久、同じく利家、利家の子利長が相継いで居城しました。天正に入り、利家が信長よりが越前国府中(福井県武生市)に国替えを命ぜられ利長も共に同地に移るに及び廃城になりました。この城は東西約68メートル、南北約50メートルあり、一重堀を巡らしていました。石碑を見ての通り諸説ありますが、利家が生まれたのはこの城だとされています。
| 名前 |
荒子城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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加賀百万石の領主、前田利家が生まれた地だそうです。前田利家は1537年、前田家4男に生まれ信長に見出されて前田家当主、侍大将になり、秀吉時代には5大老を経て、江戸時代を通して最大藩主としての礎を築いた名君です。あまり主人公のイメージの少ない武将ですが、2002年NHK大河"利家とまつ"でクローズアップされ、自治体の町おこしも兼ね利家ゆかりの地 荒子観音、荒子城址、前田城址などが整備されたようです。荒子観音から南へ歩いて来れる"犬千代ルート"のおかげで、古い街並みを抜けて城址へ散策できます。荒子は立派な民家が多く、古くから栄えていた集落だとわかります。2026.5のGW明けで人通りも少なく、ゆっくり妄想しながら散策できてよかったです。