7世紀の神秘を感じる公園。
北野廃寺跡の特徴
紀元7世紀に奈良に匹敵する塔跡があります。
廃寺の束石が並ぶ公園でのんびりできます。
国指定史跡として地域の美化活動が進められています。
今年も秋(赤黄)good!11月24日こんな感じ。見ごろはあと数日です。-_-b
愛環鉄道北野桝塚駅から850m程と、徒歩圏内に位置する三河最古級の伽藍跡は、建築物は何も残っていませんが、遺構が公園となっています。たいへん暑い日に訪れたのですが、木陰から、白鳳の往時を偲ばせる礎石と回廊跡を眺めることができ、吹き抜ける風が心地よかったです。古代史が好きな人には、当時の伽藍の平面図等や書籍を携えて、訪れていただきたい、お薦めの場所です。
建物は何も残っておらず観光には向かないが、ここに伽藍と五重塔があった意外性を堪能できる。史跡の価値が十分ある。
駐車場の表示がほしいですね。隣の民地なのか駐車場なのかわかりづらい。遺跡公園としては良かったですね。
仕事の途中、休憩時に寄らせて頂きました。神社仏閣詣でが楽しみになる前から来た事はありましたが、今は興味深々でお詣りさせて頂きました。7世紀建立の国内最古の仏教寺院跡であり、四天王寺と同様の伽藍、つまり仏塔(仏舎利)を中心に山門、金堂が直線に並ぶ配置の遺跡で、法隆寺より古い時代に、既にこの辺りに相当有力な豪族がいた証拠になるそうです。仏塔跡に登り、周りを見回すと、何か不思議な気持ちになりました。我が国の歴史に感謝申し上げます。
廃寺の束石が並ぶ公園いつも、のんびりできます。散歩仲間の交流の場です。
神秘的ですね。
身近な場所に歴史的遺構。素晴らしい‼️
国指定史跡です。飛鳥時代後期の建立であり、三河では最古級の仏教寺院と推定されています。伽藍は同じく南大門があり、そこから北に向かって三重塔・金堂・講堂が一直線に並び、それを取り囲む回廊がありました。国分寺とは異なりら一直線に並ぶこの様式は「四天王寺式伽藍配置」と呼ばれるそうです。遺構は、南大門の辺りに土塁があります。物部氏の氏寺だったとの事ですが、確か物部氏は廃仏派で蘇我氏と抗争になっていたはず。どのような意図でここを建てたのでしょうね?また、平安時代に廃寺となったそうですが、奈良時代以降の物部氏の没落の影響でしょうか。
| 名前 |
北野廃寺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/kinenbutu/siseki/kunisitei/0852.html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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