大岡越前の歴史を感じる陣屋跡。
西大平藩陣屋跡の特徴
歴史の教科書でしか触れない、大岡越前守が築いた陣屋跡です。
江戸時代の名奉行、大岡忠相ゆかりの地として感慨深いスポットです。
東海道五十三次の途中にあり、訪れる価値のある整備された施設です。
大岡越前が藩主2024年6月上旬、岡崎探訪の際にGoogle Mapsでこちらを発見し行きました。門と塀と中に神社はありますが主屋はありません。但し説明板やベンチ、お手洗いは整備されています。設置してある説明板には————————————————————西大平藩陣屋西大平藩陣屋は、大岡越前守忠相が三河の領地を治めるために置いた陣屋です。大岡忠相は旗本でしたが、72歳の時に前将軍吉宗の口添えもあり、寛延元年(1748)閏10月1日に三河国宝飯・渥美・額田3郡内で4,080石の領地を加増され、1万石の大名となりました。西大平に陣屋が置かれたのは、東海道筋にあり、江戸との連絡に便利であること、三河の領地がもっとも多かったことが考えられます。しかし、大岡忠相が藩主であったのは、わずか3年間で、宝暦元年(1751)には亡くなっています。2代目は忠宜が継ぎ、廃藩置県まで7代にわたって大岡家が領地を治め続けていきます。大岡家は、江戸に常駐する定府大名で、参勤交代がありませんでした。家臣団の大部分は江戸藩邸に住んでおり、陣屋詰めの家臣は、多い時期でも郡代1人・郡奉行1人・代官2人・手代3人・郷足軽4、5人程度でした。———————————————————-とあり今回訪問したことで西大平藩の存在や大昔、テレビドラマで見ていた大岡越前守忠相が藩主だったことを学ぶことができ、とても有意義でした。
東海道ウォーク中に立派な門を発見。東海道を少し外れて立ち寄ってみたら、なんと大岡越前守忠相が三河国の一部を治めるため設置した陣屋跡とのとこと!大岡越前は、享保の改革等の功績を徳川将軍に認められ、旗本の町奉行から譜代大名に格上げされたとのこと。ご立派!!町奉行から大名になった者は、江戸時代を通して大岡忠相だけのようです、凄いですね。中は綺麗に整備されていました。門の作りが圧巻です。数々の改革を断行した大岡越前は、ここに住むことはなかったそうです(笑)
大きな施設ではありませんが、歴史の教科書や時代劇でしか触れたことのない、人名や用語を目の当たりにすると、感慨深いです。
大岡越前の足跡を知ることが出来ました。綺麗に整備されて、直ぐ側には旧東海道があり現存の一里塚と道標が当時を偲ぶことができました。歴史的にも価値のある史跡エリアだと思います。
初代藩主【大岡 忠相(おおおか ただすけ)】・「大岡裁き」で有名、8代将軍/徳川吉宗時代の江戸南町奉行、吉宗の享保の改革を遂行😲・江戸町奉行から大名になった唯一の人。・1万石、参勤交代しない定府大名。・大岡忠相自身、西大平陣屋への訪問なし😅⭐️綺麗に整備された陣屋跡、駐車場なし🚙
大岡越前守陣屋跡。旧東海道を歩くツアーで立ち寄り。街道から少しそれたところにある。綺麗に保存されている。
江戸時代、名奉行と言われた大岡越前守忠相が一万石の大名として西大平藩を立藩。その陣屋あとです。明治以降も地元の人たちが保存運動を起こし今があると言います。私が行ったときも、地元の人たちが掃除をしており、翌日旧藩主の御子孫様がいらっしゃるとうれしそうにおっしゃっていらっしゃいました。
「大岡裁き」で名高い大岡越前守が、1万石の大名となってから明治まで、西大平藩主大岡家の陣屋が置かれたところである。
場内は綺麗に整備されています。大岡稲荷神社⛩も小さいけど、ちゃんとありました。専用駐車場が無く、道路反対のお寺の駐車場を使わせて頂きました。
| 名前 |
西大平藩陣屋跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)公は寛延元(1748)年に西大平藩の大名になり陣屋を構えたが、江戸に常駐の定府大名であったため陣屋には限られた家臣が住まわっていたそうだ。陣屋跡地内には🚾もある。