武田斐三郎設計の弁天台場。
弁天台場跡の特徴
1863年に完成した箱館港の砲台としての歴史が刻まれています。
武田斐三郎が設計した弁天台場の存在は感慨深いものがありますね。
新選組ゆかりの地として訪れる価値があるスポットです。
函館市弁天町にある史跡。かつては箱館の海上警備のために建設された大砲を置くための台場があった場所です。設計者は五稜郭と同じ武田斐三郎。不等辺六角形の形をしていました。箱館戦争で新選組が戦った最後の場所でもあります。現在は周りの海が埋め立てられ当時の痕跡はほとんど見られません。函館どつく近くには史跡標が建てられ名前の由来にもなった厳島神社隣の入舟児童公園には説明板が設置されています。
外敵からの防備の為に、10万両を投じて造った台場の跡。箱館戦争で実際に使用され、その後、陸軍の所管に移されました。今は函館どつくがあります。
新選組ゆかりの地を巡る中で函館市電の終点まで来ましたが、あるのはこの小さな碑だけ。そして何故か散乱している謎の自転車群…もうちょっと何とかならなかったんでしょうかねぇ…?
ここ?と言うような場所にありました。自転車置き場の片隅でした。
燃えよ剣読書としては胸アツな場所であるのは間違いないです今はひっそりと公園に碑があるだけですが感慨深いですね。
何となくどんな所か想像してたけど、もういいかな。
函館どつくを見に行く時通過。
①弁天台場は箱館戦争の舞台の一つ。②六角形の形をしていた。③明治後期に取り壊され跡地は函館どつぐになっている。④遺構は全く残っていない。
五稜郭を設計した武田斐三郎設計の「弁天台場」。外国船襲来に備えて建設されたが、皮肉なことに、使用されたのは箱館戦争という内戦でだった。新選組最期の場所としての、シンボルスポット。※碑は別の場所に建立。
| 名前 |
弁天台場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
http://www.jp-history.info/historic-sites-and-statue/2181.html |
| 評価 |
2.8 |
| 住所 |
|
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埋め立てられて何も無いですが、もう少し綺麗に整備されると良いと感じました。この付近にに砲台場があったと考えると胸熱です。歴史的に大切な場所と感じます。