西郷隆盛と歴史を学ぶ神社。
南洲神社の特徴
西郷隆盛を祀った神社で、歴史的意義が強い場所です。
南洲翁遺訓を無料で頂け、学びが深まります。
隣の会館で西郷隆盛の貴重な史料も展示されています。
日本には、5つの南州神社があるそうですが、その一つで東北にはここだけです!荘内藩にとって 西郷隆盛さんは忘れてはならない恩人。荘内藩の書道家 黒崎研堂の掛け軸が飾ってありました!凄く感動しました☺️
鹿児島を訪れて庄内藩との関係について知識が深まりました。酒田に行ってこの神社を一目見たくなり、訪れました。
酒田市の南洲神社に初めて来ました❗️朝6時30分くらいに到着しましたが、駐車場も車多く研修会をやっていました。さすがです。酒田市に来て良かった‼️西郷さんも喜んでいると感じました。
南洲・西郷隆盛は維新を断行した大人物であるのに、みずから筆をとって思想を陳述することはしなかった。そのままだったならば、忘れ去られたかもしれない。しかしそうはならなかった。『南洲翁遺訓』が遺されたからだった。もっとも正確にいえば『遺訓』は南洲自身が著わしたものではない。庄内人が南洲から傾聴した言葉を記録したものだ。庄内人がそうしたのはなぜか。幕府側にいた庄内藩は新明治政府と戦闘をくりひろげたが、やがて恭順した。そのときの庄内藩処分の権限を持っていたのは薩摩の黒田清隆。黒田の前に頭を下げた庄内藩主は厳罰も覚悟していたが、処分はまことに寛大なものであったので、おどろいた。その後、元・重職の菅実秀は黒田に面談したさい、あのときの指示はすべて南洲から出されていたと知らされ仰天した。ここから庄内人は南洲に傾倒していく。南洲のそばにあって、先生のお言葉は一言一句まですべて聞き漏らすものかという熱情をもって書き留めたのが『遺訓』だ。もし『遺訓』がなければ、南洲は像がつかめず、埋もれてしまったかもしれない。しかし庄内人が記録してくれたため、今日のわれわれは南洲の思想をまとめてとりだして検討することができる。西郷はもちろん偉かったが、南洲にひかれ、後世のために思想を遺そうとした庄内人もまた立派だろう。ここに南洲を祀ったのは昭和51年のこと。それから40年ほどたったある日、南洲神社をおとずれた鹿児島銀行の頭取は、今もなお南洲を慕いつづける庄内人に感激し、神社の看板を奉納したという。
何故山形に西郷どんが!!行けば良く分かります。とても良い場所でした。
検索すると南洲あったので西郷隆盛さんの関わりがあるのではと行った。地元の方々西郷隆盛と共に戦ったとか?素朴な神社で二人の西郷隆盛と二人の像が際立っていた。
整備が行き届いている。資料館の営業時間が不定な点はNoGood。
西郷隆盛を祀った神社です。御朱印は対応していません。神紋が島津紋になっています。
戊辰戦争での庄内藩への処分が寛大なものだったのは西郷の指導によるもので、その大徳に敬慕することとなる。二人の座像は(右)西郷隆盛(南洲)と菅実秀(臥牛)。
| 名前 |
南洲神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0234-31-2364 |
| 営業時間 |
[火水木金土] 10:00~16:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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西郷吉之助の銅像があります。然し、よく知られる顔は本人が写真など嫌いだったのもあり兄弟の姿を採用されています。