歴史の息吹を感じる、前田慶次の寺。
堂森善光寺の特徴
前田慶次の供養塔があることで有名なお寺です。
紫陽花が美しいと評判で、多くの人々が訪れます。
歴史的背景のある真言宗の寺院で、静かな雰囲気が魅力です。
浜田省吾さん山形ライブ行きがてら長年崇拝していた前田慶次公の眠る当山に参拝致しました。御朱印頂きましたが御坊の神対応に遥々伺った有り難みを感じました達筆な御朱印も素晴らしかったです。
平日朝に訪れました。バスで米沢駅から桑山公園前まで乗れば近いのですが、本数が少ないので行きは歩きで行くことに。徒歩30分程で着きました。前田慶次の供養塔や力石があり、1度伺いたいと思っていました。堂森善光寺をお参りしたあとは、無苦庵跡や慶次清水、慶次が月を見ながらお酒を飲んだのかもしれない月見平も徒歩でまわれます。余談ですが帰りは桑山公園前からバスに乗りましたが、慶次バスでした⤴︎。
なかなか最近来てなかったがあまりに雨がなく有名な紫陽花もクタッとしていてなんだかなと前田慶次ゆかりのとこだが今も来る方は多いのかな道の駅米沢からも近いがどうなんだろな。
善光寺ということで、来ましたが、前田慶次の寺みたいな感じ。本当にここに居てたの?、観光ネタを作ってませんか?的な印象。本人の資料館を設立するべきかと。
前田慶次の供養塔がある事で有名なお寺✨かれこれ23年間毎年訪れている🎵いつ来ても込み合っている事はなく駐車場は道沿いに5~6台と境内の前に数台分あります❗️
前田利久の養子である慶次(前田利益)滝川氏より養子に入る。加賀100万石後継者として、嘱望されていたが前田利家の家督継承により流浪の身となる。のち、上杉景勝に士官。晩年過ごした堂森にて、、
米沢に前田慶次のゆかりがあるのをここにきて初めて知りました。意外な派手な印象とは真逆の世界観や、御朱印を描いてくれた方の花の慶次に出てきそうな印象、御朱印の達筆に驚き。
紫陽花寺としても有名だそうです。伺った日は丁度見頃で綺麗でした。前田慶次もこの紫陽花をみていたのかな。
前田慶次の供養塔が、あるのを知り、さっそく行って来ました。御朱印も、書いてもらえるとの事なので、書いてもらった!時間が9時からなので、駐車場で少し待機し、9時に事務所に行き、若い、副住職に書いて頂きました。事務所に、前田慶次グッズがいっぱい。あと、記念撮影用に、羽織や兜、キセルがあり、嫁さんが喜んで着ていました。副住職も、優しさが溢れ出てました。供養塔も、見事ななものでした。ファンが、足を運ぶのもわかります。紫陽花も咲いていました。
| 名前 |
堂森善光寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0238-28-1638 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 9:00~16:00 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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真言宗豊山派の寺院で山号は松心山。大同二年(807)の開基、建久三年(1192)に長田将次の妹 益王姫が中興したと伝えるが、数度の火災で古記録が焼失し由緒は定かではない。見返り阿弥陀如来(県指定文化財)は、益王姫を救うため振り返った姿になったという伝説が残る。また、置賜郡の地頭・長井氏の創建ともいい、伝 長井時広夫妻座像(県指定文化財)を所蔵している。中世期には、当寺において大般若経の写経事業が行われ、その一部が山形市の立石寺(山寺)に残っている。その奥書から、延文二年(1357)頃に出羽国長井荘堂森今善光寺の僧・本聖仁光が中心となり、各地の僧の協力を得て大事業が遂行されたことが知られる。境内の阿弥陀堂は寛延三年(1750)の再建、寺名の由来となる善光寺三尊像と見返り阿弥院を安置した。また、本堂と阿弥陀堂の奥には前田慶次郎供養塔が建ち、多くの参拝者が訪れる。傾奇者として著名な前田慶次は、晩年は堂森で偽々自適の生活をおくり、慶長十七年(1612)六月四日に死去したと伝えられる。堂森の里人と親交した慶次を偲び、昭和五十五年に建立されたものである。