時空翔で祈る、忘れられない記憶。
時空翔-北海道南西沖地震(1993年7月12日)犠牲者慰霊碑-の特徴
震源地に向かって立つ慰霊碑が印象的なスポットです。
1993年の南西沖地震を忘れないための祈りの場となっています。
黒御影石の石碑は津波の高さを象徴する丘にあります。
奥尻島津波館のすぐ裏手にあります。津波館と併せて見学しましょう。津波館にもあった天皇陛下の詠んだ句碑があります。
北海道旅行の際に、立ち寄りました。青苗岬灯台近くの、德洋記念緑地公園内にある慰霊碑です。1993年7月12日午後10時17分に発生した北海道南西沖地震は、マグニチュード7.8で、日本海では観測史上最大級でした。奥尻町では、地震・津波・火災により、198名の尊い命が犠牲になりました。碑の土台は、押し寄せた津波と同じ高さまで、盛土されています。モニュメントの窪みは、地震当日の、夕日が沈むタイミングに合わせて、造られているそうです。昭和天皇も訪れられて、御心を歌にした句碑があります。他にも奥尻島津波館があり、30年前の事で、時が経つにつれて記憶は薄れていきますが、記録は残して伝承していかなければなりません。この場所を訪れて、決して忘れてはいけない事だと、改めて思いました。
青苗灯台のすぐ近くにあります高台にあって、地震のあった日の夕日がオブジェの窪みに来る様に設計されているとの事存在感を感じる立ち寄った日は斜面に黄色いたんぽぽ?が一面に咲いた時期で何だかささやかな慰霊の様なものを感じました。
時空翔と奥尻島津波館北海道南西沖地震1993年7月12日午後10時17分12秒マグニチュードは7.8なお奥尻島島には震度計無く!!推定のみ死者202人、行方不明者28人29mの津波という奥尻島津波館は地震、津波火災、地崩れの詳細と復興経過等を詳細の展示時空翔は慰霊碑で平成天皇の御製もあり犠牲者名簿を見ると札幌の女性が多いこれは慰安旅行の女性客で旅館もろとも地崩れで犠牲になったとの事寺田寅彦は「天災は忘れた頃に来る」と言ったがその2年後に阪神大震災又3・11等「災害は忘れえぬまに来る」です思えば平成は地震を含めて重大災害が多かった。
とても大きな墓標。津波で亡くなった方々の魂がどうぞ安らかでありますように。
震源地に向かって立つ慰霊碑。
1993年の南西沖地震で亡くなられた方々の慰霊碑です。モニュメントとしての彫刻作品で、ここまで優れた作品は、なかなか国内にないと思いました。次回は、夕刻に訪ねてみたいと思います。
1993年7月12日 北海道南西沖地震の慰霊碑「時空翔」。隣の奥尻島津波館の駐車場からは1段、公園側からは2段高い丘の上にある。
モニュメントのある丘の高度は津波と同じ高さです。黒御影石でつくられたモニュメントのくぼみは、震源地となった南西沖を向いています。地震のあった7月12日に、海に向かって石の正面に立てば、くぼみの中へ沈む夕日を見ることができます。
| 名前 |
時空翔-北海道南西沖地震(1993年7月12日)犠牲者慰霊碑- |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
01397-2-3404 |
| HP |
https://www.town.okushiri.lg.jp/hotnews/detail/00001049.html |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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壁には、亡くなった方々の名簿が記載されており、高台に有ります。黒く作られており、北海道南西沖地震が起きた日の夕方には正面から見てくぼんでいる部分に太陽が沈むよう、調節されています。そばには、灯台が有ります。