江戸時代の遺構、於佐加神社!
於佐加神社の特徴
犀川の渡しがあった宿場の突き当りに位置しています。
江戸時代の雰囲気を感じられる魅力ある場所です。
1600年代の歴史を体験できる神社です。
住宅地の中に佇む神社。由緒書きもあります。拝殿の 龍の彫刻は一見の価値アリ!美しいです。
昔、犀川の渡しがあった宿場の突き当りにあります。「おさか」と読みます。普段は静かな境内ですが、二年詣りは周辺の方が多数お参りに集まります。
おぃさか 神社👸👩🍳🌺🌺丹波島宿🐴🐂1600年代 😜江戸時代🤒にタイム🆙しましょうか⁉️❓🎯🐌🐢🤒😪😋😍😜😖😁👩🌾
| 名前 |
於佐加神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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於佐加神社(おさかじんじゃ)慶長16年(1611)北国街道丹波島宿の開設後、宿町の産土神として現在に至るまで地元から大切に祀られている鎮守様。当社は、上方(南)から宿場に入るちょうど桝形の最西端に位置しており、東端は北に折れ丹波嶋の渡し跡に至る街道筋は今も変わらない。さて、橋の建設がご法度であった江戸時代、北の善光寺宿に向かう道中は犀川を「渡し」により渡河する必要があったが、増水などの場合、旅人はこの宿場に数日間も留め置かれた。幕末を迎えてもなお橋は架からず、明治11年(1878)の明治天皇の北陸・東海道巡幸の折にもまだ「船橋」であった。昭和に入り鉄橋が開通するとバスや貨物車両が多く流入し、戦後、拡幅ができない旧街道は、幹線の役目を国道バイパスに譲ることとなるが、この神社は、江戸、明治、大正、昭和と長年にわたり善光寺平の今昔往来を見守ってきたともいえる。御祭神:建御名方神(てけみなかたのかみ )・八坂斗売神(やさかのとめのかみ)由緒:正確な創建は不詳。宿場町が整備される以前は、「諏訪河原(ここより西方約300m程犀川沿い)」の地にあったとされる産土神を、寛文2年(1662)現在の地に宿場町の鎮守として遷移したとのこと。のち、明和元年(1764)神礼殿が造営、安永5年(1776)に遷宮され、明治6年(1873)に村社となり、拝殿は明治22年(1889)に落慶となっている。現在の社号「於佐加神社」とよばれるようになったのは明治になってからであり、かつては境内に土俵があり奉納相撲が行われたという。現在でも氏子衆により春秋の例大祭、弥栄祭、新嘗祭、越年祭、元始祭、日待ち祭などの神事が行われている。拝殿に掲げられている社号額の書は、信濃松代藩最後の藩主、真田幸民(第10代)の筆。滋野姓で正四位勲三等となっているので、伯爵となった明治期に書かれたものと思われる。また、拝殿正面の向拝柱にある中備(なかぞなえ)の彫刻には中央の親龍が両脇に2匹の子を配している『子引き龍』、右木鼻には『マリ(玉)持ち獅子』。左木鼻には『子持ち獅子』が配されている。山嵜文書によると、明治20年頃、丹波島の高橋留吉が妻科の山嵜儀作(宮大工・彫工師)に「人通りの多い道(善光寺街道)に面する神社(於佐加神社)に儀作の目貫龍があれば評判になるのでお願いしたい」と目貫龍の装飾を依頼をした記録が残されている。末社:秋葉社、弥栄社、三峰社、天満社、金毘羅社、住吉社、新津権現、ほか道祖神、庚申塔 の九社がある。山嵜儀作:長野市妻科出身、天保2年(1831)~明治31年(1898)代表作は蚊里田八幡宮拝殿(長野市若槻)、武井神社拝殿・本殿・鳥居(長野市東町)、寛慶寺本堂欄間(長野市東之門町)、於佐加神社拝殿(長野市丹波島)、福島天神社本殿(須坂市)、田面稲荷社拝殿(長野市田町)、桜井神社本殿(東御市)、森山諏訪神社本殿(小諸市)、蕃松院本堂欄間(佐久市)他多数。駐車場なし。