川中島合戦ゆかりの地。
雨宮の渡し公園の特徴
川中島合戦の古戦場として歴史的意義がある場所だ。
千曲川の流路が変わったことも歴史を感じさせる要因である。
桜が咲く時期には絶景が広がり、訪れる価値が高い。
旧屋代線の雨宮駅から至近距離にあります。不思議なことに最近不可解な史跡の削除が相次いでいます。この地図にも雨宮駅跡が載っていたのに消されてしまいました!心無いもののしわざでしょう!このような蛮行は断じて許しません!勝手に消したやつのが消えてほしいです。
公園と言っても先客が居たら遠慮したくなるほど狭く、石碑と案内図、説明文があるだけの場所。住宅と畑に囲まれて駐車スペースも軽自動車が置ける程度のもので、公園の駐車スペースかも定かでない。千曲川自体も今では遠く離れた場所を流れており、当時を偲ぶ雰囲気は全く無い。
『雨宮の渡し』とあるから、てっきり『渡し船』が在った場所だろうと『千曲川』沿いを探し回りました。やっとの事で『雨宮の渡し公園』を見つけ石碑に書かれた文字を読んでみると。「鞭静粛宿 夜 河を渡る」お袋が詩吟を吟じて居まして、夜になると聞こえてきた一節がそこに在りました。『第四次川中島の合戦』 『妻女山』に陣を構えた『上杉軍』は『武田軍』の陣地から上がる『炊事の煙』が何時もより多い事を見て、決戦の時が近いのを見抜きます。『武田軍・山本勘助』は、早朝『妻女山』後方の山手から騎馬隊で一気に攪乱する作戦を取ろうとしましたが、いち早く気付いた『上杉軍』は、気づかれない様一切の音を立てず夜中のうちに『妻女山』を降り、千曲川の浅瀬『雨宮』を渡って川中島へと移動します。この時の様子が「鞭静粛宿 夜 河を渡る」 (馬を操る鞭の音も静寂に 夜中のうちに 川を渡った)さぞや河川敷の中だろうとの予想とは裏腹に、周囲は住宅地と変貌していました。昔の河川敷は、護岸工事などで守られる事も無かったからかなりの川幅だった筈です。昔、一度だけ『長野電鉄屋代線』に乗った事があります。『リンゴ畑』ばかりだったイメージですが、此処が川中島合戦の重要拠点を示すものは此の公園以外には見当たらなくなりました。駐車場や遊具などは在りません。公園と云うより史実の保存でしょうか。
何も知らずに道標を見て立ち寄ったが、川中島の合戦の古戦場で 鞭声粛々~ で謡われる有名な史跡だと知って驚いた。ひっそりと道の脇にあって、気をつけていないと見落としそうなほど目立たない。農地と住宅街の中で、周りには車を停めるスペースはほとんどないので、車で行く人は少し離れたところに停めて散歩がてら行くのが良いと思う。
何も知らずに道標を見て立ち寄ったが、川中島の合戦の古戦場で "鞭声粛々~" で謡われる有名な史跡だと知って驚いた。ひっそりと道の脇にあって、気をつけていないと見落としそうなほど目立たない。農地と住宅街の中で、周りには車を停めるスペースはほとんどないので、車で行く人は少し離れたところに停めて散歩がてら行くのが良いと思う。
川中島の戦いに関係する史跡。公園と言っても駐車場も無く、石碑と説明文があるだけの所。場所も非常に分かりずらいし、渡しと言っても、川自体が移動してしまってるのでピンとこない。期待して行くとガッカリすること間違い無し。
川中島合戦の際、要所だったという雨宮の渡し。戦国時代、ここは千曲川を渡る舟場だったとのことで、ここをどのように利用するかで戦況が大きく変わったらしい。現在その千曲川は流れが変わり、遥か北を流れているのでその景色を見ることは出来ない。この場所で、上杉謙信と武田信玄が知略を巡らして戦った様子を思い描くと感慨深いものがある。今日は桜が満開でした。
千曲川の流路が当時と現在とでは違うため、千曲川からかなり離れたところにあります。歴史好きの方は「ここがあの雨宮の渡しか!」となりますが、そうでない方は「ここって、何の場所……?」となるかと思います。2名以上で行く場合は、歴史好きの方と一緒に行くことをお勧めします。
上杉の武士を先祖に持つ身にとっては訪れてみたい場所でした。
| 名前 |
雨宮の渡し公園 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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上杉謙信が好きな方は必須かも。