武田信繁公の石碑、歴史の重み。
武田信繁の墓の特徴
県道40号から小道を100メートル入った静かな場所に位置している墓地です。
武田信繁の墓は、武田家ゆかりの貴重なお墓として知られています。
武田信繁は兄武田信玄に仕え、領土拡大に貢献した武将です。
普通お墓の一角にあります。道も細く駐車スペースはありません。でも、数100年経過してもお墓に来てもらえるなんて信繁さん…ある意味幸せ。兄思いの良き弟なり!
県道40号から100メートル程入った墓地の一画に石塔が建っている。上部には武田菱が彫り込まれている。お線香を上げようとしたら、持って行ったお線香と同じくらい燃え残ったお線香が。先日も石塔の前に佇む人が居た。歴史好き、武田一族のファン恐るべし!駐車場がありません。私は県道沿いの自販機の横のスペースに停めて歩いて行きました。勿論帰りに自販機で缶コーヒーを一本!
武田信玄の実の弟にあたる武田信繁のお墓ということです。亡くなったのは川中島の合戦で、敵方へ渡らないように小諸まで運ばれて葬られたそうです。肝心なお墓があるのは集落の中にある墓地の一画で他のお墓と一緒に見えてしまうので、とてもわかりづらいと思います。お墓は大きな一枚岩なので近づくとわかるかなと思います。お墓を参拝する場合、近くに専用の駐車場はありません。お墓の近くで路上駐車をしようにも集落からはわりと頻繁に車が出入りするので集落の方に迷惑とならないような駐車の仕方を考えた方が良いでしょうね。
甲斐府中から遠く離れた小諸に墓所があるとは…信繁公の思いは如何に…篤く弔いたいものです。
共同墓地の一郭にあって、しかも住宅街が近くて道幅が狭いので、車で行くと他の通行車両の妨げになって大変です。しかも、意外とよく車が通るんですよねぇ。かといって、布引観音の駐車場からじゃ遠いですしねぇ。現在の墓石は、戌の満水で流された後、明治になって立て直された物だそうで、実物は布引観音にあるそうです。
大きな石の、お墓でした。
共同墓地になっているのか?ズカズカと入るわけにもいかず看板だけ読んで帰ってきました。他の方も書いていらっしゃられますが駐車場無し自分は原付だったので寄りましたがそれでも軽トラなんかが来たら避ける場所もないくらいでした。
『武田信玄』の実弟『武田信繁』のお墓です。通り名は『武田典厩(てんきゅう)』 『松代』には真田信之により建立された川中島合戦で戦死した人を慰霊する為の『典厩寺』というお寺が在ります。『武田信繁』も『川中島の合戦』で戦死しましたが、戦国時代、その首が敵の手に渡るのは偲びないと思った家臣により、故郷に葬るべく甲斐の国を目指しましたが、力尽きこの地に埋葬されました。その『勇猛果敢』な立ち振る舞いから羨望され、自分の子孫に『信繁』と名前を付けた武将も多かったそうです。『真田信繁(通り名幸村)』もそうですね。
こんな所にあるんですか?って感じです。
| 名前 |
武田信繁の墓 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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武田信玄公の実弟、信繁公のお墓。川中島合戦で討死され、家臣の手により首だけこの地に運ばれ葬られたと解説看板が有ります。今はこの地の地元民の墓地に紛れ存在しています。墓地全体としては、地方で何処にでも見かける一般的な墓地です。