馬頭観世音の碑を訪ねて。
来迎山無量寺の特徴
無量寺の馬頭観世音の碑が目印で、訪れる価値があります。
旧中山道沿いに位置し、アクセスがとても良いです。
父親のお墓がある特別な場所として、多くの人に親しまれています。
『茂田井間の宿』を散策していると南の山の端に『赤い大屋根』が見えます。案内図でも一生懸命誘導していますから取り敢えず行ってみます。駐車場に車を停め、先ずは看板の説明を読みます。創立は西暦1003年、『天台宗・比叡山・延暦寺』末寺の扱いです。『兵火を被る』と在るから『戦略的放火』により全焼してしまったのでしょう。でも何時頃建て直されたのかが不明です。本堂は施錠されていて一寸も開きません。廻り込むと『薬師堂』が在り僅かばかり開いた隙間から辛うじて『薬師如来坐像』を覗き込みます。やはり1000年からの歴史のあるお寺の境内には、古の石像石仏が似合います。『鐘楼』脇の桜の大木も力が漲っています。春花の頃又来ます。
茂田井間の宿の西よりの街道脇に馬頭観世音の大きな碑が立っています。そこから小路を南に250メートルほど歩くと、丘の麓に来迎山無量寺があります。境内前の説明板によると、天台宗比叡山延暦寺の末寺なのだとか。創建は11世紀のはじめ頃で、恵心院源信という僧が開山したと伝えられています。本尊は薬師如来、脇侍に日光菩薩と月光菩薩をしたがえていているそうです。境内には、桃の実のような形の薬瓶を携えた薬師如来立像が置かれています。茂田井集落の南端に迫る尾根丘陵の麓に位置する無量寺の堂宇群は、中山道の石割坂や一里塚から眺めることができます。丘陵の北斜面にあって、茂田井の街を見おろす位置にある、田畑と山林に囲まれた街外れの古い寺院です。北佐久地方から和田峠を越えて諏訪湖の北岸や松本方面に通じる交通の要衝にあった茂田井は、平安時代末期から鎌倉、室町、さらには戦国時代に勢力を争う武将や兵たちが往来し、干戈を交えた場所のひとつです。そのため、創建以来、無量寺は何度か戦乱に巻き込まれ兵火を浴びて堂宇などを失ったようです。無量寺はもともとは茂田井集落の中心部近くにあったそうですが、戦火を浴びて七堂伽藍を失ったため、元の場所からさらに南の現在地に移転再建されたとも伝えられています。
無量寺の北を旧中山道が通っている。茂田井宿は旧中山道の望月宿と芦田宿の間にある間(あい)の宿で、今でも昔の名残がある。その中山道沿いに諏訪神社があり、鳥居のところに芭蕉句碑がある。 山路来て何やらゆかしすみれ草。
| 名前 |
来迎山無量寺 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0267-53-5795 |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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父親のお墓のあるお寺です。今回母親もお世話になりました。住職は足がヨボヨボで墓まで行く短い距離すら送迎しました。