苔むした石灯籠と湧き水。
飯豊神社(石神様いしがみさま)の特徴
8世紀初頭に造られた、加美町で2番目に古い神社です。
通称石神と呼ばれ、地元の氏神様として親しまれています。
境内や社殿裏の崖は、子供たちの遊び場としても知られています。
飯豊神社(いいとよじんじゃ)。宮城県加美郡加美町麓山。式内社(小)、旧郷社。【祭神】保食神 大山祇神 天照大神 八重事代主神【祭祀対象】大石資料によると、飛鳥時代、第42代文武天皇の大宝3年(703年)、巨勢麻呂が当国に下り、慶雲2年(705年)、保食神(豊宇気比売命)を奉斎したことに始まるという。第43代元明天皇の和銅2年(709年)3月、巨勢麻呂は陸奥鎮東将軍に任ぜられた。この際、神事が盛んに行われたという。奈良時代、聖武天皇の天平9年(737年)、按察使兼鎮守府将軍として大野東人が、当郡から出羽国最上郡玉野に至る道路を開鑿。この際、初めて社殿が設けられたという。社頭に長さ5尺、厚さ4尺という巨石があり、本社の奥院と伝えられる。また、右大弁巨勢麻呂を石神として鎮祭したともいう。これにちなんで、当社は石神社とも呼ばれた。式内社「賀美石神社」とされる場合がある所以だろう。他の論社に、式内同名神社がある。一方で、当社の奥宮は、色麻町小栗山山頂の船形神社であるとの指摘もある。鎌倉時代、伏見天皇の正安22年(1300年)、小野田朝日館主で、従五位下の内海左京太夫長重が社殿を再建した。明治5年(1872年)、郷社に列し、明治40年(1907年)、供進神社に指定され、明治42年(1909年)には鳴雷神社をはじめ八王子の諸神社を合併、奉斎した。ただし、明治5年(1872年)4月に漆沢の山神社、小瀬の雷公天神社、神明社の三社を合祀、ともある。境内には、坂上田村麻呂が植えたとも、源頼朝が植えたともいわれている、周囲約6mのスギ(杉)の老木があり、御神木として祀られている。また、安産の神として古くから知られている夫婦大石がある。とあります。
陸奥国 賀美郡 延喜式内 飯豊(いいとよ)神社です、が 同じく賀美郡延喜式内 賀美石神社とする説もあります。
手水鉢の湧き水が冷たくて気持ちよかったです。
石段をかなり昇るのかと思ったら、たいしたことなかった。
8世紀初頭に造られたと言われ、加美町では、「賀美石神社」に続き2番目に古い神社とされています。当初は社殿を持たず大石を御神体として祀ったため、通称・『石神様(いしがみさま)』と呼ばれ親しまれています。境内右手には、胴回り5メートル以上もある大杉や、中央で割れた大石が「夫婦石」と呼ばれ祀られ、縁結びの神様とされています。
別名「大石さま」「石神さま」と呼ばれている、加美町では2番目に古い神社(1200年以上)。素敵なロケーションで、穴場スポットの1つです。幹周りが5.5メートルもある大杉も見ごたえがあります。
延喜式神明帳に陸奥国一百産 大 十五座 小 八十五座賀美郡 二 座 並小飯豊神社 賀美石神社と記載された古社で、別称「石神」とも言われます。その由来は元来境内にある大石を御神体として祀ったからとも考えられます。その後天平9年(737)大野東人が社殿を造営し、正安2年(1300)朝日館主内海氏が再建したとあります。現在の社風が当時のものかは不明ですが、歴史的建造物と推測されます。元本殿は昭和46年老朽のため、再建されました。山神社、雷公天神社を合祀しています。御祭神:豊宇気毘売神祭典日:4月12日、9月12日。
延喜式神明帳に 陸奥国一百産 大 十五座 小 八十五座 賀美郡 二 座 並小 飯豊神社 賀美石神社と記載された古社で、別称「石神」とも言われます。その由来は元来境内にある大石を御神体として祀ったからとも考えられます。その後天平9年(737)大野東人が社殿を造営し、正安2年(1300)朝日館主内海氏が再建したとあります。現在の社風が当時のものかは不明ですが、歴史的建造物と推測されます。元本殿は昭和46年老朽のため、再建されました。山神社、雷公天神社を合祀しています。御祭神:豊宇気毘売神祭典日:4月12日、9月12日。
落ち着ける場所。
| 名前 |
飯豊神社(石神様いしがみさま) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0229-67-6184 |
| HP |
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020401 |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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鳴瀬川の水の流れの音を聞きながら心地よく参拝できました苔むした石灯籠や立派な鐘もとても良かったです。