浅間山を望む、静寂の柵口神社。
柵口神社の特徴
柵口神社は静かな雰囲気で癒される場所です。
浅間山を眺めながら、自然の風の音が心地良いです。
夏の訪問には、涼しさが感じられる特別な体験が待っています。
柵口神社(ませぐちじんじゃ)御祭神 盤長姫命由緒江戸時代の初期元和元年(1615)「街道の改修」と「村寄せ」が始まり、元和三年(1617)馬瀬口村は北国街道に沿って「村寄せ」が行われました。元和六年(1620)村寄せが終了し、小諸城主「仙石兵部少輪忠政」により馬瀬口村の「守り神様・鎮守」として「神籬」を建て浅間山を御神体と仰ぎ、塩野村の浅間神社から、女の神様「磐長姫命御神霊を御仮宮仰ぎ祭れり」とあり「浅間大明神」が勧請されました。寛永二十一年(1644)石宮に更造・建替られ、宝永元年(1704)本殿が上棟、天明六年(1786)二の鳥居が建立されました。安政二年(1855)浅間大明神から柵口神社浅間大明神に改称、その後「柵口神社」となりました。慶応二年(1866)新たに北国街道からの参道を開き、慶応三年(1867)木造による一の鳥居が建立されました。柵口神社は明治四年(1871)廃藩置県に伴い、明治六年(1873)「村社」となりました。馬瀬口村は、明治二十二年(1889)塩野村と合併し小沼村と改称、大字「馬瀬口区」となりました。毎時三十二年(1899)一の鳥居の腐朽により、石造りに更造・建替られました。大正八年(1919)創建三百年を迎え、区民一同により大記念祭が催され、二対の石灯籠などが奉納されました。大正十三年(1924)県道改良工事に伴い、参道が二分されました。柵口神社は春・秋の例大祭はもちろん毎月のように「お祭り・新嘗祭」など催された時期を経て、令和元年(2019)創建四百年を迎えることとなりました。(創建四百年記念「柵口神社の由来」案内板参照)神社のルーツは、「神」の御霊の依代・盤座・神座として、社や宮や祠をその土地に住む人々が建立し、尊い場所として境界線を引き、俗世界と隔絶したことが始まりと考えられます。当区域に鎮座する神社も、その原形はその土地の守り神・産土の神様であり、同時にその土地を開拓した氏子の遠き御親、先祖神であったことは想像に難くありません。浅間山麓に広がる牧場の柵口にあたることから、柵口神社と命名され、区名は「馬瀬口」と書きます。御祭神は、浅間山の祭神である「盤長姫命」で、大山祇命の娘であり、木花佐久耶姫の姉神です。当氏子区域の産土神社と鎮守の杜が、いつまでも尊ばれ、愛され、親しまれる神聖な場所、心の拠り所、かけがえのない財産でありますことを心よりお祈り申し上げます。(長野県神社庁「柵口神社」参照)馬瀬口城跡馬瀬口城の歴史は不明で伝承も残されていません。馬瀬口は馬柵口に通じ、塩野牧の集落を守るために築かれた防御施設が、平原城主の依田氏により支城のひとつとされたと推察されます。柵口神社の鎮座する高台を主郭と見るか、北方に広がる台地を中心とするは判断できませんが、北佐久郡から小諸市にかけてはこういった形の城が多くあります。境内を中心に軽く藪を払って歩いてみると、土塁を二ヶ所で確認できます。(サイト「城郭図鑑」参照)
柵口神社の入る場所が分からず迷ってしまいましたが柵口神社に行ってみると静かで、浅間山が見れて良かったです。
ませぐち神社です。馬の像がインパクトあります。
「ませぐちじんじゃ」と読むらしい。ここの地名が、馬瀬口なのでその語源なのだろうか?
夏は涼しい、風の音が楽しめます。
| 名前 |
柵口神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
http://www.nagano-jinjacho.jp/shibu/03tousin/02kitasaku/2083.htm |
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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長い石段を登るとソコには神社がありました。昔は二年参りとか行きましたねー。