山の精を感じる石神山社。
石神山精神社の特徴
桓武天皇の勅使の祈願所という歴史的背景が魅力的です。
凛とした狛犬が印象的で、神社独特の雰囲気を醸し出しています。
山岳信仰の霊場ならではの神聖な空気感を体感できる場所です。
陸奥国 式内 石神山精神社(いわがみやまずみ)神社です。拝殿の奥がまさに御神域といった雰囲気です。石碑や石仏が多くあり古社の佇まいです。
延喜式神名帳の陸奥國黒川郡の項に記載のある式内社。東北自動車道の大和町ICを降りて、西に10キロ弱、七ツ森の北側麓に鎮座。拝殿向かって左側には巨大な白い岩壁が迫っていて、社殿はその前の狭い敷地に建てられている。御祭神は大山祇神だが、社名の示す通り、巨大な凝灰岩の岩壁を磐座として祀っており、古代の信仰を今に伝えている。続日本紀によると桓武天皇の御代の延暦9年(790)に「陸奥國黒川郡石神。山精社並為官社。」の記載があり、官社となったという古社。また、社殿の前には坂上田村麻呂が植えたという杉の巨木がある。この岩壁の奥をさらに登ると、麓館跡という古い城跡があるらしいが、雨で石段が滑りやすくなっていたので、断念。
黒川観音霊場2/34車通り多く路駐危険、空き地に階段は大したことない拝殿の裏に本殿、御神木、大岩を是非とも黒川観音霊場3/34覚照寺宮城県黒川郡大和町宮床大椚69
宮司さんには非常に優しく丁寧な対応をしていただきました。
桓武天皇の勅使の祈願所であった神社です。すぐ隣町には殿 御利子で御座るの映画の舞台になった町があります。背後には船形山神社がありその御神体は百済観音様です。これはまだ調査中ですがどうも西の百済に東の百済にあたる秘仏中の秘仏のようです。
凛とした狛犬さんです。
当社の歴史は古く、続日本紀によれば桓武天皇の延暦9年(790年)に陸奥国黒川郡石神山精神社を官社に勧められ、当時すでに大和朝廷の信仰厚く奉弊が行われた。社名の示すとおり巨大な岩石に神霊の存在を認めて祀った古い信仰の姿を伝えた神社で、社殿前には坂上田村麻呂将軍の御手植えの杉と、古老の口碑に伝う周囲8メートル余の老杉がある。(まほろば百選~未来への伝言~第1刊《史跡・名跡編》より)御祭神:大山祗神、大歳神、事代主神配祀:大国主神、保食神、釜神(奥津彦神、奥津姫神)例祭日:春祭4月15日、秋祭旧9月9日。
雰囲気が良いです、ここから麓上公民館まで登れます。
7月7日に訪れました。社殿までの苔むした階段は趣が有りますね。御神木も見事で、深山の雰囲気が有ります。御朱印も鳥居脇の宮司様自宅で頂けます。
| 名前 |
石神山精神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
022-345-0026 |
| HP |
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020374 |
| 評価 |
4.7 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
名の通り「山の精」を感じられる佇まいです。一の鳥居から窺える鬱蒼とした木々の中に続く苔むした石段。二の鳥居を過ぎて間もなくの拝殿とその奥に鎮座する本殿。樹齢何百年であろうとかいう、その大いなる根元に苔をまとった御神木。本殿を守るようにそびえ立つ巨石。人や車といった現世の煩瑣な物音から遮断されて、自然と心が落ち着きます。拝殿脇から「イノシシ除け」の柵を通って(開けたら必ず閉めましょう)、落ち葉に埋もれた狭い少し滑りやすい急な階段をしばらく登ると麓館跡の平らな場所(地図上では「麓館公園」となっています)に出ることができます。本来であれば北東方向から北西方向にかけての北側の眺望が拝めるようですが、私が行った5月下旬は木々の葉が生い茂り、眺望はほぼききませんでした。下山時は少し遠回りとなる緩やかな道を降りてきましたが、途中に鬱蒼とした木々の影が切れる日当たりのよい場所があり、雑草が生い茂り「ここは本当に道?」という状態になっていました。この道の出口にも柵が設けられていて簡易的な錠前で閉じられていますので、出入りの際には必ず「錠をかける」ことを忘れないようにして下さい。