1000年の歴史、桜色の神社。
大高山神社の特徴
ヤマトタケルノミコトを祀る、由緒ある神社です。
鳥居の美しさと歴史が感じられる神社です。
銀杏の葉が彩る美しい境内が魅力的です。
大高山神社(おおたかやまじんじゃ)。宮城県柴田郡大河原町。式内社(名神大)、旧郷社。主祭神:日本武尊、橘豊日尊(用明天皇587年没)。合祀神:迦具土命、大山祇命、倉稲魂命、火産霊命、白山菊理媛。資料によると、社伝によれば、大高山神社は敏達天皇元年(572年)に日本武尊を主祭神として創建されたという。当神社の縁起書や『安永風土記』『奥羽観蹟聞老志』(おううかんせきもんろうし)などによれば、日本武尊が蝦夷征伐のための東征の折に仮宮を立てて住んだと伝わり、その仮宮の跡地に「白鳥大明神」と称する社殿を設け、日本武尊を奉斎したという。また伝承によれば、崇峻天皇2年(588年)には主祭神として橘豊日尊(用明天皇)が合祀された。これは、用明天皇が橘豊日尊と呼ばれた皇子の頃、勅命により当地へやってきたことがあり、用明天皇の皇子である聖徳太子がその縁を持って大高山神社へ合祀したと伝わる。大高山神社は延喜式神名帳において陸奥国内百座のうちの一座であり、十五座ある名神大社のうちに列する。なお、往古は神社の北東にある金ケ瀬地区新開(旧柴田郡平村)の台ノ山に鎮座していたが、元禄時代初期に起きた火災により社殿が消失したため、金ケ瀬地区の新開126番地に遷座し、大正3年に新開から現在の鎮座地である金ケ瀬地区の神山へと移築・再遷座した。現在も新開126番地の旧社地には鳥居と石祠が鎮座している。とあります。参考として、宮城県南部の柴田郡や刈田郡などの白石川沿いの地域は、ハクチョウを神の使いとして崇敬する「白鳥信仰」と呼ばれる信仰が強い地域である。大高山神社の他にも、蔵王町宮の延喜式内名神大社である刈田嶺神社 (蔵王町宮)には「白鳥古碑群」という石碑群が残されている。日本武尊に関係する同様の話も残されており、刈田嶺神社の南には、日本武尊が当地に残した子供を乳母が投げ捨てた川とされる「児捨川」「児捨川橋」がある(児童虐待を連想させるいう理由により、現在は橋の名前は「白鳥橋」へ改名されている)。とあります。
桜の時期は神社の佇まいと相まって綺麗な眺めとなります。歴史のある石灯籠が上にありますよ。
境内脇の宮司宅で書き置きの御朱印を頂きました。
隣に宮司自宅ありますが、留守の様で、御朱印はありませんでした。
ナビでは鳥居を過ぎて、山の上の神社の裏の駐車場らしき場所に案内されますので、少し分かりにくいかもしれません。ここには、珍しい、鉄製の鳥居が建てられてますが、なぜ、ここの神社に、建てられているのか不明なんです💦と、若い宮司さんが、お話してくれたのが、印象的でした🎵社務所は、開けていないようなので、御朱印は、お隣のご自宅のチャイムを鳴らして、お願いしました。ご家族の方が出て、気持ちよく対応してくれました。直書きの御朱印です。裏道は、遊歩道になっていて、ゆっくりとお参りできます🎵
すごい落ち着く神社です。
鳥居の美しい神社。延喜式内社で古くから地元民の篤い信仰を集める。手倉森山(天狗森山)への遊歩道出発地点でもある。
御朱印をお願いしたところ大高山神社のパンフレットも添えて頂きありがとうございました。延喜式大社のひとつということで白鳥信仰伝説の大変歴史ある神社です。(2021.11.5)〜追記〜国道4号線から見える桜の季節も素敵です(4/10撮影)時々お参りしています。本日は直書きの御朱印と白鳥ストラップを頂きました。(2022.7.28)
歴史ある神社です。移転して現在の場所にあるとの事。立派な狛犬、宮大工が手掛けた装飾など日本建築があちこちに見られ神々しい。
| 名前 |
大高山神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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現場のすぐそばにあって写真だけ撮ってみた。