武田三代の歴史を感じる躑躅ヶ崎館。
武田氏館(躑躅ヶ崎館)の特徴
武田神社が中心にあり、歴史を感じる場所です。
武田信虎から勝頼まで三代の居城跡が残っています。
駐車場も完備で、無料でアクセスしやすいです。
武田氏館(躑躅ケ崎館)は国の史跡に指定されており、日本百名城に認定されている。躑躅ケ崎館は武田信玄の父信虎によって築かれ、信玄、勝頼の武田氏3代60年あまりに渡って武田氏の甲斐国支配の中心地となった。現在、躑躅ケ崎館跡地は大正時代に建てられた武田神社となっている。一部改変されており、残っているとされる天守台は立入禁止エリアとなっている。しかし、内堀や土塁、石垣、虎口などかつての居館跡としての雰囲気もある程度残されている。整備中の北曲輪群が整備されれば、中世大規模居館としてさらに良くなるであろう。躑躅ケ崎館は武田氏滅亡後は徳川家康などによりさらに拡充され天守なども築かれたが、1590年に甲府城が築かれると役目を終え廃城となった。
かつて武田氏の居城だった名残が随所に残ってます。神社を建てるために南側の石垣を崩して鳥居と階段を作ったそうで階段の場所は本来は石垣が連なっていたようです。また本来の大手門だった場所は神社東側にあり、神社内の駐車場への車の通用口になってます。
百名城で訪問。武田の居城であり菱形の家紋が映えます。甲府駅からまっすぐに参道がここ武田神社に伸びており景観が素晴らしいです。宝物館は500円掛かりますが展示物の量を考えると割高です。武田24将の掛け軸をみたいのであればありです。私はそれ目当てだったので良かったですがもうちょっと展示物増やしてほしい。あと神社のスタッフの愛想はそこまでフレンドリーではない。
メインは武田神社です。社務所では、正面で駐車券の無料処理、右手で100名城スタンプ、左手で御城印がいただけます。
初登城人は城の通り、ものすごく簡素な土塁で作られた城郭が物語る この場所に来ると武田家臣団の結束がいやでも促されると思える。
歴史を感じる場所です。神社はもちろん、館跡なども見応えがあります。武田信玄ファンはぜひ。
中心部は神社になってますが、西曲輪は南北の虎口などしっかり城の遺構が確認できます。稲荷曲輪もいい感じですね。北側の発掘整備が進むのを期待したい。管理釣り場に登ると城域が一望できます。
武田氏館跡というか、武田神社です。屋敷跡が再現されているわけではないので盛土や説明などから想像するしかできませんが、さすがお館様の神社だわと嬉しくなるほど大切に残されている場所なので、歴史好きにはたまりません。堀も大変素晴らしく、中からぐるっと歩いて回るのが楽しかったです。
信虎さんの時代からの本拠地、躑躅ヶ崎館。いまは武田神社となっているが、はるかに続く直線的な参道から鳥居、社殿と一直線に並んでいる。甲州の能舞台もあるが、あまり知識もないので特異点がわからなかった。直前に神楽坂の矢来能楽堂を見ていたので、松竹梅揃った矢来能楽堂の方が特異に見える。武田ゆかりの宝物館が併設されており、武田24将の絵図や武田神社建立までの歴史が細かく学ぶ事ができる。入り口のキティーちゃんは完全に謎躑躅ヶ崎館まできた庶子は、是非裏の詰め城である要害山城にも寄って欲しい。
| 名前 |
武田氏館(躑躅ヶ崎館) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
055-252-2609 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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別名を躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)ともいう。甲斐の守護武田信虎が永正16年(1519)に館を築き、信玄、勝頼のいわゆる武田三代が63年間居館とした。館跡の規模は東西284m、南北193mで、東・中・西曲輪に分かれていたが、東・中曲輪は武田神社造営時に土塁が取り払われた。史跡の範囲内には壕外の諸曲輪や武将屋敷跡がある。