戦国の遺跡、河尻塚探訪。
河尻塚の特徴
夏場の参拝時には虫に注意が必要な穴場名所です。
武田攻めの際に軍監を務めた河尻氏の塚があります。
歴史の一コマとして、河尻秀隆の首塚がある場所です。
本能寺の変の余波を感じた。強権的な統治はどうして行われたのか?河尻がスケープゴートにされたのではないか?歴史の霞が深くてわからないが。
織田信長の重臣・河尻秀隆の首塚、あるいは屋敷跡と伝わる史跡です。「信玄公火葬塚」から道路を挟んで至近の場所に位置しています。天正10年(1582年)の武田氏滅亡後、河尻秀隆は信長から甲斐国(穴山領を除く)の統治を任され、この地に館を構えました。しかし、わずか2ヶ月後に「本能寺の変」が勃発。後ろ盾を失った秀隆は、武田旧臣や地元の農民らが蜂起した大規模な一揆に襲撃され、討ち死にを遂げました。地元では、統治への怨念から遺骸が「逆さま」に埋められたという伝承があり、別名「さかさ塚」とも呼ばれています。また、大正時代に建てられた石碑には、本来の官位である「肥前守(ひぜんのかみ)」ではなく「肥後守」と誤って刻まれており、不遇な最期を物語る史跡としてひっそりと残されています。
【2026年4月18日☀️】本能寺の変の余波でこんなことが起きていたとは‼️塚の場所なんですが…キッズ芝生広場方面に入って行き→右手のゲートボール場を過ぎたら、直ぐ右に曲がる→直進していくと、右斜め前に緑の網に『河尻塚』と貼ってある→そしてこの緑の網は実は開きます(開くんかい!)→河尻塚‼️🌟スマホ地図を見ながらウロウロしていたら女性に声をかけてもらえた!『どこかお探しですか?河尻塚ですか?』と!同じような人がたくさんいるようです!ありがとうございました!✨
すぐ近くの武田信玄公の墓と比べて荒んだ雰囲気が何とも言えません。遺体が逆さに埋められたことから「さかさ塚」ともいわれると案内板にありましたが今でもそうなのかな?この武将は家康の甲斐支配を正当化するため不当に貶められている感じがします。
穴場的な名所ですが、あまり整備されておらず、とくに夏場の参拝は虫に注意。スズメバチに刺され、帰りは病院経由になってしまいました・・・。
金網柵がありましたが扉を開けて直接触れることができました。大正時代に建てられたものなので由来は当てになりませんが、穴場で面白いです。ゲートボール場の横を少し通りますがグラウンドを踏まないように注意しました。
信玄公墓所に行くとチラチラ出てくる案内板に出る塚。折角だしよるかと舐めた気持ちで行くと、墓所反対の敷地に不法侵入をかましてしまう事請け合いのトリッキープレイス。1枚目の写真。これが入口です。(笑)塀と個人宅の間、40センチ位が入口。更に碑がある土地自体は、1畳位。💧墓所を背に右に進み、左に曲がる道を見つけたら間の住宅を避けるようにぐるりと回った先に有ります。プレステのフラッグ集めかよ!と思ったり。
織田信長の武田攻めの際の軍監であった河尻氏の塚。本能寺の変を受け、地元の者にうちとられ、ここに逆さに埋められたのだとか。
もう20年近く前におとずれた。ラジオのサッカーでゴールゴールゴールゴールと連呼された日である。信玄の墓を見た後、当時は紙の地図で確かめながらこちらにたどり着いた。ネットに挙げるべきデジタルデータはない。フィルムカメラで納めたからだ。しかし、、民家の隣にただたたずんでいる石塔。石仏石碑より酷い。甲斐武田家滅亡後に、信長により甲斐支配を任された川尻秀隆の墓とは思えない。いや、塚と称されてる以上、まともな形式で葬られたとは思えない。本能寺の変で甲斐信濃が動乱し、それを抑えられなかった。徳川より送られた使者を切ったといわれるが、死人に口なし。一気に寄って八つ裂きにされて無残な最期を迎え、そこに遊行聖人あたりが塚を作ったのだろうか。とにかくあまりにも不憫な、そして無念な塚である。言い伝えでは遺体は逆さまに埋葬されたというが、もはや確認のしようがない。今はただ、訪れた人が手を合わせること、そして冒涜しないことだけが唯一の手向けであるように思う。
| 名前 |
河尻塚 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
https://ss-yawa.sakura.ne.jp/menew/zenkoku/shiseki/chubu/kawaziri.h/kawaziri.h.html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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Googleマップの案内で行くと民家の庭先へと誘導されてしまうので、道路を東へ進み「信玄公火葬塚ー河尻塚」の案内版の所を右に入り、公園を突っ切ってゲートボール場まで行けば河尻塚に辿り着ける。ゲートは閉まっているが、鍵はかかっていないので開けて入る事ができます。すぐ近くに信玄公火葬塚があるが、そちらとの扱いの差が余りにも違いすぎて驚いてしまった。