山梨岡神社で藤の花を満喫!
山梨岡神社の特徴
山梨岡神社は山梨の語源発祥の地で、歴史のある神社です。
本殿は国の重要文化財に指定され、室町時代末期の建築様式を誇ります。
境内には美しい藤の花や御室山があり、自然豊かな環境が広がっています。
雰囲気の良い感じの神社です。境内にはわりと大きな藤がありました。シーズンになったらまた訪れてみようと思います。
龍の初詣。1月2日13時貸切状態。手洗い場に龍もいて、神楽殿もありパワーももらえる素敵な神社でした。
フルーツラインの桃の花はすっかり終わりでザンネンだなあと小路を散策してたら綺麗な藤の花✨みっけ✨駐車場も満車でたくさんの方が写真撮られてました。そう広くはない神社さんですが明るい気の神社さんでした。藤の花の香りがスゴかった!
山梨の地名が発祥となる神社。御神体が神社の裏手にある御室山となります。御室山に登るには枯れ葉が多く滑りやすいので断念。立派な神楽殿があります。
神楽殿もある立派な神社です。通りがかりのおじさんに藤がとにかく綺麗だと教えてもらいました。趣のある神社です。
山梨岡神社は、古墳時代に全国的に蔓延していた、疫病や災害を沈めるために創建された神社です。元々は御室山(みむろさん)の山頂に建てられていた無名の神社でした。その後、現在地に奉遷しました。祭神は、大山祇命、別雷神、高靇神式内社です。神社の名称は、梨の林を切り開いた所に場所を移した、山梨岡とは「山を成す丘」を意味する等が伝わっています。いずれにしろ山梨岡神社は山梨の語源発祥の地として知られています。本殿は、室町時代末期(AD1336–AD1573)の建立と推定されています。屋根は杮葺で、梁間正面1間・背面2間、桁行2間の一間社春日造です。国の重要文化財に指定されています。
山梨の地名が、起源の神社。藤の花が有名。裏の山と本殿の一体感が素晴らしい。藤の花が咲いていたら、なお素晴らしいだろう。御朱印は、やってないようだ。社務所は閉まっていた。
国道沿いに看板が出てます(北バイ)少し道幅は細いかな…ゆっくり行きましょう☆綺麗に咲いてます。藤の匂いも良い感じ♪
こじんまりした良い神社です❗正月、込まないです、地元の人が、参拝するくらいじゃないですかね❓‼️
| 名前 |
山梨岡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0553-26-2826 |
| HP |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/2084 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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山梨岡神社(やまなしおかじんじゃ)。山梨県笛吹市春日居町鎮目(しずめ)。式内社(小)論社、旧郷社。近世以降、「日光権現」や「山梨権現」、「山梨明神」と呼ばれて来たが、明治元年(1868年)に現社名「山梨岡神社」に改称した。主祭神:大山祇神(おおやまつみのかみ)、高龗神(たかおかみのかみ)、別雷神(わけいかずちのかみ)資料によると、発祥は御室山を神体とする古い信仰に遡ると考えられているが、「御室山」の山名は大和国の「御諸山(みもろやま)」(三輪山のこと)に同じく、「神霊の籠もる山」を意味するものと推測されている。なお、文化11年(1814年)の『甲斐国志』(以下『国志』と略記)に、かつて御室山は国に異変のある際に、その前兆として鳴動したという記載がある。社伝によれば、崇神天皇の時代、疫病が蔓延したため勅命によって日光山高千穂の峰(当神社背後の御室山と見られている)に3柱の祭神を祀って近郷の鎮守とし、成務天皇の時代に郡境を定めるにあたり、山麓の現社地にあった梨の木数株を伐採して遷座、鎮座地を「甲斐嶺(かいがね)山梨岡」と名付けたという。現在も境内には郡境の標示石であったと伝える「郡石(こおりいし)」があるが、鎮目の地は令制下の甲斐国山梨郡山梨郷に比定されるので、この社伝に従えば、当時の郡名の、そして現在の県名の発祥の神社ということになる。古代甲斐国の山梨郡域にあたる春日居地域には古墳時代後期から古代に至る後期古墳や渡来人墓制であると考えられている積石塚などの考古遺跡が分布し、甲斐4郡(山梨・八代・巨麻・都留郡)の成立後には甲斐の初期国府や山梨郡の郡家の所在地であったと考えられており、周辺には奈良・平安時代の集落遺跡や古代豪族の氏寺であると考えられている寺本廃寺(寺本古代寺院)など官衙施設も分布している。また、『延喜式神名帳』に記されている甲斐国の式内社は20社であるが、およそ半数の9社は山梨郡に所在した。更に、鎮座地の東方に残る「国府(こう)」という地名(笛吹市春日居町国府)は、甲斐国の初期の国府の所在地とも目されており、能因法師に「甲斐が嶺(ね)に咲きにけらしな足引きのやまなしの岡の山奈しの花」(『夫木集』)と詠まれたのは当神社一帯の景色で、当神社が国府に近いことから古来有名であったためとも見られている。とあります。参考として、摂社吾妻屋(あづまや)宮:山梨岡神社(以下、本社と記す)の北方約1km、北山の中腹に鎮座し、日本武尊と弟橘姫命を祀る。社伝によれば、日本武尊が東征の折に当地の山路で休息したことに因み、その旧跡を「四阿山(あづまやさん)権現」と称して尊を祀ったのに創まるというが、本社の古社地(日光山高千穂の峰)であるとの伝えもあり(『社記』)、また、式内社の「甲斐奈神社」に比定する説もある。とあります。