会所神社で伝承を感じる。
会所八幡宮(会所宮)の特徴
会所八幡宮は会所山山頂から移された社です。
会所宮には景行天皇と久津媛の伝承があります。
三芳刃連の西端に位置する美しい丘陵です。
会所宮(よそみや)三芳刃連(ゆきい)の西端が突き出た丘陵である。豊後風土記にいう、筑紫から日田に入った景行天皇を、比佐津媛(ひさつひめ)が迎えたところと伝えられ、眺望にすぐれる。また大和朝廷から日田国造(くにのみやつこ)に任ぜられた鳥羽宿祢(とばのすくね)が、庁を設けて居住したので、会所宮とよんだとも云われる。山上には弥生時代の甕棺の出土のほか、鳥羽塚などの古墳や古い社祠の類も多く、さまざまな伝承とともに日田の古代・中世に関係深い史跡の地である。山麓の会所八幡社は、日田郡司大蔵永弘によって八幡三神が祀られ、現在は景行天皇と比佐津媛も合祀する。日田市文化財調査委員会贈 日田ライオンズクラブ社地掲示説明板ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー御祭神応神天皇(譽田別命) 神功皇后(息長足姫命) 仲哀天皇(足仲彦命)大足彦忍代別命(おほたらしひこおしろわけのみこと)(景行天皇) 比佐津媛神(久津媛神)大己貴命「~風の宿り~ ブログ」他より。
会所宮(よそぐう:会所山神社・會所神社・会所八幡宮)は、JR日田駅の南東600mほどの日田市日高の会所山の麓に鎮座している神社です。12代 景行天皇が、九州遠征時に浮羽から日田に立ち寄った際に、「久津媛(ひさつひめ)」と名乗る神が人となり現れたことに因んで「日田」という地名が名づけらました。久津媛は、邪馬台国の卑弥呼であるという説もあります。創建は天安2年(858年)ですが、もとは、会所山(標高164.3m)の山頂にあった久津媛神社に景行天皇と共に祀られていました。その後、山の中腹に新たに社を建てて、明治42年(1909年)に現在の場所に移されました。久津媛神社の下宮でもあります。御祭神は、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・景行天皇・久津媛神です。神社のある「日高(ひだか)」という地名は、かつての江戸幕府領の日田郡(ひたぐん)日高村に由来します。明治8年(1875年)刃連村、下井手村、上井手村が合併して日高村が発足しました。明治22年(1889年)日高村、田島村、求来里村が合併して三芳村が発足して、日高村は消滅しました。昭和15年(1940年)日田町・三芳村・光岡村・高瀬村・朝日村・三花村・西有田村が合併して日田市が発足しました。八幡神社は、全国に約44,000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とします。御祭神は武運の神「弓矢八幡」として崇敬を集めた誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)です。応神天皇は、皇室の守護神(天照大神に次ぐ)で、出世開運の神ともいわれ、筋肉隆々で逞しく、実存性が高い最古の天皇といわれています。
会所神社(よそじんじゃ)は明治時代、会所山山頂と中腹にあった社を麓に合祀、遷座したものです。かつては、大きな神社だったようで、楼門もあったそうです。現在は線路踏切の袂に、壊れた大鳥居の跡とその残骸、辛うじて残されている神橋がみられます。会所山までは、神社境内脇にある、蹴上げが高くて長い階段をまず登り、貯水槽の脇を迂回して藪を掻き分けて登らないと行けないのが難です。二十年ほと前までは、山頂から日田市が一望できて爽快でしたが、現在は草木が生い茂り、眺望はまったくありません。
很好拍照的景點。
景行天皇と久津媛の伝承が残る場所です。日田盆地の東端にあり、この場所から西側の敵対勢力と対峙したように思えました。
| 名前 |
会所八幡宮(会所宮) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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R386で若宮町の交差点を右折しJR線前を左折し、右折し線路を渡ると右側に神社は鎮座している。神社についての説明は掲示されている。参道は第一鳥居、第二鳥居を過ぎ石垣と瑞垣の間の石段を進むと標柱、石灯籠、御社となる。御社は瓦葺の拝殿、石の間、本殿の造りである。本殿の屋根には八幡神社の神紋である三つ巴が彫り込まれている。