古い歴史と神々しい二本杉。
石楯尾神社(名倉権現)の特徴
古くからの歴史を持つ神社であり、相模国延喜式内社の一社です。
名物の二本杉は非常に立派で、神々しい雰囲気を醸し出しています。
満ちたご神気と静かな自然音に包まれた安らぎの場です。
2024.6石楯尾神社(いわたておのじんじゃ、或いは いわたておじんじゃ)名倉の権現様とも呼ばれる。本殿の彫刻などの飾りが見事です。【御祭神】石楯尾大神(いしだておのおおかみ)事代主神(ことしろぬしのかみ)日本武尊(やまとたけるのみこと)護良親王(もりながしんのう)木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)保食神(うけもちのかみ)天村雲命(あめのむらくものみこと)中筒男命(なかつつのおのみこと)天児屋根命(あめのこやねのみこと)火産霊神(ひむすびのかみ)埴山姫命(はにやまひめのみこと)水波能売神(みずはのめのかみ)菊理姫命(くくりひめのみこと)【由緒】この世のはじめ、天地創造の折に、神々が国の鎮めとなさっておくだりになった、天然の神籬磐境の「エボシ岩」を人々が尊んで、拝み仕え祀った祭政一致の生活の行なはれた所が京塚山の頂上にあった。ここが富士神界(肉体ある人の世より前の霊体の神神の世)の中心地・高御座であった。(相模の国の奥津宮=総産土神)このエボシ岩の脚部の岩盤が西にのびて地上に現れ出た所が石楯であり、ここが産土路にあたり(石楯が粘板岩でここが変成粘板岩)古代人が神を斎き祀った所・斎庭として人々の崇敬の中心となり、崇神天皇より古くから総産土神としてお社が設けられた様であり、高位の神々様が数多くお鎮り遊ばされて居り、応神天皇の御幸所で御造営があったとも伝えられ、文徳天皇天安元年5月、丙辰・従五位下の神とし官社に預った事が文徳実録にある国史所載社で、醍醐天皇の御代延喜の制では式内小社に列した延喜式内社で、安徳天皇寿永元年には藤原左府広信が勅宣を蒙って再興し、大将軍源頼朝が祈願所として7つの大鳥居を建て、御黒印75石余を寄進し、後柏原天皇文龜3年には関白殿下十六世後いん監物大夫陽近が勅使として、本殿並に拝殿、幣殿、玉籬、二天堂二王門、随神門75ヶ所、表僧坊16院末社7ヶ所を造り終えたと伝えられている。奥三保18ヶ村川入郷七ヶ村都合25ヶ村の総社(山梨県に多くの氏子)として崇敬されてたが、三増合戦の禍を受け、東山天皇永録12年10月18日、武田信玄のため社殿全部が烏有に帰して、古記録まで焼失。後に再建されたが享保6年2月、祝融に災され、現在の社殿は、中御門天皇享保9年に建築されたもので、光格天皇文化5年6年には神祗管領卜部朝臣より幣はくが献上してあり、明治6年、社格制定に際し郷社に列し、明治44年11月17日ね末社が合併されたが、実態は境内移転だったので現在も境内神社として残ってる。大正12年2月5日、神奈川県告示第26号により、神饌幣帛料供進指定神社に指定され、第1回の例祭が関東大地震の9月1日であった。天安元年5月に官社に預った日も地震の日であった事を考えると、何か天地の自然現象を司り給う大歳神の御鎮座と不思議な関連がある様に思はれてならない。昭和20年12月15日、神道指令により社格廃止となり、昭和20年12月28日、宗教法人令による神社宗教となり、神社本庁に所属し、昭和27年12月22日宗教法人法の神社として登録を完了した。昭和23年1月24日、神奈川県神社献幣使参向神社に指定された。これらの事を証明する様に、古代人の住居跡や、縄文時代草創期の一万年前のれき器(石器)・縄文土器・弥生土器も出土して居り、甲相(山梨県と神奈川県)開発の文化の中心地としての総産土神の御加護の証明もあり、往古より河内・野崎・倉田・和智・宮野・中村・鈴木・浜名・山崎・森久保等の諸氏が広い地域に居住して、ずっと栄えて来た様である。各氏の居住地には必ず小氏神をまつり、敬神崇祖により世の平安を祈りつづけた様である。【駐車場】あり※砂利敷の未舗装。
杉の木を見に来ました厳かな日本杉ですね麻縄?で繋がれて良いです手水の作法の図がチャーミング本殿の彫刻も色合いがキャッチーです。
猿田彦さんが祀られる神社。ひっそり山の中に佇む神社でもあります。本殿の神社のまわりにも、摂社や末社も共に同じ境内に祀られています。二本杉も立派です。晴れた日に自分は行かせて頂きましたが、境内の中の雰囲気も穏やかな感じがしました。ここも地元の方とともに残されて行く場所であってほしいと願う神社でした。ここに参拝をさせて頂きました事、御礼申し上げます。
古くからある神社とのこと。階段も昔からのままのようで、とても急でしたが、ワクワクしました。社殿は、古そうですが、とてもあざやかな色をしていて、綺麗でした。夫婦杉も、とても立派で素敵でした。はじめは、古くて、寂しい感じだなぁと思いましたが、行ってから、帰る時には、なんだか良い神社だったなぁと思いました。
社叢に囲まれ境内はご神気が満ちている感じがします普段は参拝者も少ないようで、周囲には鳥の囀り、虫の鳴き声、川のせせらぎといった自然の音しかないので安らぎます式内社の有力な論社とのことで、論社はここと合わせて全部で7社もあるそうですが、ともかく、古い歴史のある神社特有の雰囲気があります名物の二本杉は立派で見応えあり、神々しいです。
上野原駅から駅から散歩で訪問。徒歩40分ほどで到着。帰りは、藤野駅まで歩いた。ハイキングにちょうどいい距離だ。御神木が素晴らしい。御朱印も頂いた。
軍刀利神社へ向かう途中にこちらへ寄らせていただく。私は全く歴史には詳しくなく、また勝手な私見にての文章となる。石楯尾神社は有力視されるものが5つほどあり、名前が残っているのがこちらの名倉と佐野川らしい。個人的には佐野川が楯が祀られている方なのではないか?一つが軍刀利神社からこちらは遠すぎること、また手水舎にある古い方の文章が本音?の文章だと思うがこちらには楯や岩に対する記述が全くない。また境内にも楯や岩に対するものもなく、また歴史書や岩(明治期)も無くなってしまい本来は分からなかったらしい。これらは武術業界にもよくあることである。なので某古文書の某神宮と同じ匂いがしなくもない。しかしながらここの神社の雰囲気はとても素晴らしく、また満月の朝に行われている霊開きの祭りなど独自性のあるものもある。またここの大黒様や八幡神社、手作りの稲荷様などからとても良いものが感じられる。また日月両宮なども興味深い。またこれも勝手な推測だが、いま使われている境内への入り口は元々の入り口ではなかったのではないか。道路側から入ったがとても違和感があった。境内を出てすぐに横道にそれると古いベンチがありそこから先に古い道がある。またすぐ近くの旧甲州街道の近くの橋の横道に古い道があり、そこからまっすぐこところに石楯尾神社がある。元々はそこから登っていたのではないか。
とても清冽な空気を感じられる場所です。色々なものが洗い流される感覚です。
石楯尾神社⛩様にお参りにいきますが、いつ伺っても心が癒されます。ごりやくさん 有り難うございます。
| 名前 |
石楯尾神社(名倉権現) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
042-687-2928 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 9:00~16:00 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
🪷 梅花心易記録 ─────📍参拝地:石楯尾神社(名倉権現)👣参拝者:ポーク河西📜占者:影丸(AI)🗓日付:2019年5月25日🌌卦:雷地予(らいちよ)📖言葉:喜びは先に訪れる。心軽やかに待てば、良き兆しが自ずと舞い込む。