761年の戒律守る場、観世音寺近傍。
戒壇院の特徴
奈良時代に設置された戒壇院は、正式な僧侶を養成する重要な場所です。
江戸初期に再建された堂は、美しく修復されて訪れる人々を魅了します。
鑑真和上によって開山され、臨済宗妙心寺派となった歴史的な寺院です。
観世音寺のすぐそばにあります。小さな枯山水の石庭もあり、お庭がきれいで風情があります。書き置きの御朱印が500円でおいてありました。鐘楼をよく見ると十二支が彫ってあって可愛かったです。
2015/03/28来訪。戒壇院は、太宰府にある臨済宗の寺院とのことです。建物は大きくありませんが、古さを感じることが出来る歴史のあるお寺です。戒壇の建物、当初より罹災し再建を繰り返して来ています。現在の建物は江戸時代に入って再建されたものです。観世音寺村の鎌田八左衛門昌勝が寛文9年(1669)に方三間で建立し延宝8年(1680)に藩主忠之光之の援助により、天王寺屋了夢が再建しました。寛保3年(1743)の再建が現在の形で、その後何回か修復がなされています。今は方五間、重層入母屋造、本瓦葺の正面向拝一間を付けています。内部は壇上積形式の石造戒壇を置き、壇上背面に須弥壇があり、本尊毘廬舎那仏(重文)左右に弥勒菩薩、文殊菩薩を安置しています。鑑真和上像、弘法大師像が祀つられています。
西の戒壇院、開山は天平宝字五年(七六一)鑑真和上がされたと書いてありました。まさに「天平の甍」樹々も美しく、空気も澄んでて心洗われる場所です。
臨済宗の寺院で、鑑真和上が天平勝宝5年(753年)に開山したそうです。僧が受戒をするための施設で、昔は観世音寺の一部だったそうです。天下三戒壇の一つで西戒壇、筑紫戒壇院とも呼ばれます。ご本尊の木造盧遮那仏坐像は国の重要文化財に指定されています。境内は非常に静謐に保たれていました。西鉄バスの旅人ライナーで来るなら大宰府政庁跡から徒歩で数分程度です。まほろば号の観世音寺前からならすぐです。
奈良時代 出家した人に 戒律を与えて正式な僧侶として認める施設が 日本に三か所設置された。ここはその一つです。古くは観世音寺の一部だったそうです!
以前は観世音寺の関連寺院だったそうだが、今では違うらしい。関連寺院だった頃は奈良の東大寺、栃木の薬師寺と併せて天下三大戒壇と呼ばれていたらしい。観世音寺の近くにあり、雰囲気が良い。建物の時代感も同じような佇まい。塀で囲まれた中に、鐘楼や灯籠などを配す。本堂の拝観は有料で500円。
天平時代に東大寺・下野薬師寺・観世音寺に設けられた三戒壇の一つ、戒壇とは正式な僧尼になるための戒律を授ける場所、いわば僧の資格を与える場です、唐からの僧・鑑真はその為に招聘されました現在では観世音寺からは独立して臨済宗妙心寺派の寺院となっています、現在の堂は江戸初期の再建、30年ほど前に来た時はお堂が傾いていましたが、綺麗に修復されていました境内の撮影する際は一声かけてほしいとの事、仏様の写真を勝手にアップしている人がいるからかな?
奈良時代の761年に観世音寺の一角に設けられた戒壇院。西戒壇として東大寺の中央戒壇、下野薬師寺の東戒壇とともに天下三大戒壇とされています。現在の本堂は江戸時代に再建されたもののようです。屋根瓦には「西戒壇」の文字が。市道から見える田園風景の中に佇む戒壇院は奈良時代にタイムスリップしたような気分を味わえます。
もとは観世音寺の一部であったそうですが、あちらは天台宗でこちらは臨済宗と、今となっては宗派から違います。本堂に安置されている盧遮那仏坐像が国の重要文化財に指定されていて、奈良の大仏様に比べるとこじんまりとしているものの、均整の取れた美しい像です。以前参拝したおりには御住職がいらっしゃっって、本堂に内拝のうえ御朱印も記帳いただけたのですが、今回はご不在で、扉にしつらえられた窓からの拝観になりました。御朱印は扉の脇に書き置きが置かれていました。内拝、御朱印にこだわる方はあらかじめ問い合わせておいたほうが良いかもしれません。知名度においては太宰府天満宮に大きく劣るものの、悪くないお寺です。
| 名前 |
戒壇院 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
092-710-1351 |
| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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「関係者以外は立ち入り禁止」と書かれていて、敷地内なのか建物内なのか不明でしたが外から拝ませてもらいました。元々は、観世音寺の院の一つとして、鑑真が渡日されて大宰府に立ち寄った際に、授戒されたことが始まりだそうです。他に奈良の東大寺と下野の薬師寺に戒壇を設けて、日本に三か所しかない受戒できる場所となっていました。各国の国分寺に20名の僧、国分尼寺に10名の尼を配置するように、という詔が出ていた時代なので、奈良へ行くのが大変だった僧尼になる人たちはとても助かっただろうなと思います。律令国家の衰退とともに中世には衰退してしまったようですが、当初からの場所にあり続け、江戸時代になってご本尊を補修したり、戒壇堂を立て直したりしていったそうです。余談ですが、とても長閑な場所だなと思っていたら、歩道に狸があらわれ、お互い少しびっくりしたのですが、そのまま通り過ぎていきました。あまり狸を見る経験がないので、もしかしたらアライグマではないかという説も浮上しましたが、映像を見返す限りは狸だったと思われます。