高橋紹運公の勇姿、岩屋城跡。
岩屋城跡の特徴
高橋紹運が守った岩屋城跡の歴史を感じる場所です。
四王寺焼米ヶ原駐車場からの徒歩ルートが魅力的です。
岩屋谷磨崖石塔群周辺の美しい自然を楽しめます。
名将、高橋紹運公が800名にも満たない中で、諸説あるが2万から4万名の島津の寄せ手に対して2週間もの間、死守しました。島津の総攻撃にて落城しましたが、高橋紹運以下の侍、武士達は後世にその忠義ぶり、武士の本懐を示しました。今は静かな風だけが吹きます。眼下には大宰府市内を始め、南北の眺望良く、この地に城が築かれたのがよくわかります。
岩屋城跡は、大野城に向かう道路沿いに小さな青い案内板や木の看板があるだけなので、通り過ぎないよう注意が必要です。本丸跡に上がる道や、二の丸跡(高橋紹運の墓)に下る道のそばには駐車場、駐車スペースはありません。下から上がってくると、手前に1台分ほどのスペース、さらに少し先の路肩に3〜4台ほど停められる場所があります。戦国時代、この城を守って壮絶な討死を遂げたのが高橋紹運。その息子があの立花宗茂で、九州を代表する名将として知られています。紹運の忠義と覚悟の籠城戦の舞台となった場所だけに、歴史好きなら一度は訪れておきたいスポット。城跡は簡素ですが、戦国史の重要な舞台を実感できる静かな場所です。本丸跡からの眺めも良いです。
車で行く際は、大きな案内看板は無いので、グーグルマップ等である程度場所を特定して、山道を走る必要があります。大野城側(四王寺県民の森側)から行くのがオススメですが、道脇の登山者向けの看板を見つける必要があります。近くに「公式の」駐車場はありませんので、カーブにある車の待避所的な所に1〜2台分は駐車できるので、自己責任でお願いします。公式の駐車場を希望の方は、少し手間に焼米ヶ原駐車場=大野城跡(写真の説明記載分)からも、岩屋城跡の半分位の眺望はあります。駐車場が完備されていないので、人が少ないのも魅力なので、福岡在住であれば一度はチャレンジをオススメします。昼間に行きましたので、夜は多いのかもしれませんが、昼間でも良い景色でした。
林道を1時間半かけて徒歩で登って訪れました。道中特に観るものもないので、可能であれば車で来るのが最適ですね。高橋紹運が最後の地、ここから山下を囲む島津軍を望んで奮戦したのかと、その情景を想像しながら景色を眺めました。
駐車場がないので少し離れた四王寺焼米ヶ原駐車場に車を止めて歩きました。行くのが大変な割に遺構はほぼなく、石碑と眺望、近くの高橋紹運のお墓くらいしか見所はないので、高橋紹運ファン以外にはあまりおすすめできません。
紹運公のお墓近くの道から岩屋谷磨崖石塔群に向けて南東方向へ降りて行くと、見事な連続堀切を楽しめます。石塔群のさらに東にも遺構があるそうですが、道が不明瞭で引き返しました。
高橋紹運が島津の兵数万に対して数百の兵で2週間戦い散った山城跡。太宰府側ルートはコーナーに番号が振られていて、22と23の間に階段の入口がある。足元はしっかりとしていて歩きやすく、ソール硬めのSPDシューズでも余裕で歩ける。こちらは展望図があり、どこに何があるかも分かりやすい。これが焼米ヶ原にもあればいいのに。御城印あり。太宰府天満宮参道近くの太宰府館にて。物販コーナーに並んでいる。
福岡県太宰府市の西鉄都府楼駅前駅から大宰府政庁跡、市民の森(春の森)を通り、高橋紹運公や勇士の墓を通って、岩屋城跡(本丸跡)へ行って来ました♪岩屋城は16世紀半ばの戦国時代に大友家の宝満城の支城として築かれますが、天正14年(1586年)に九州制覇を目指す島津家5万の大軍は、高橋紹運ら約700人が守る岩屋城を落とし玉砕します。その城跡からは、素晴らしい景色が広がっていましたね♪右側には福岡市中央部分が見え、福岡空港から飛行機が飛び立っていましたね。また左側には久留米市などの筑後地方が見え、遠くに耳納連山(みのうれんざん)が見えていましたね♪素晴らしい景色です!もちろん通って来た大宰府政庁跡も綺麗に見えていました。
| 名前 |
岩屋城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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高橋紹運の最後の地お墓もあります。思ったより低くてここでよく10日間も島津の攻撃を耐えたもんだと思いました。高橋紹運に力を使い果たした薩摩はその後の立花城は落とせずすごすごと薩摩に帰ってます。その後、根城坂で上方の兵にこてんぱんにやられ地方の一大名になってしまう。