岩屋城跡で高橋紹運の勇姿を感じる。
岩屋城跡の特徴
高橋紹運が守った岩屋城跡の歴史を感じる場所です。
四王寺焼米ヶ原駐車場からの徒歩ルートが魅力的です。
岩屋谷磨崖石塔群周辺の美しい自然を楽しめます。
大友氏の家臣・高橋紹運が城主を務めていた山城です。山城跡からは太宰府市街を一望できる絶景が広がります。ハイキングコースが整備されており、歴史と自然を楽しむことができます。
岩屋城跡です。戦国時代の1586年(天正14年)7月、島津忠長率いる島津氏の軍勢と大友氏家臣の高橋紹運らとの壮絶な攻防戦(岩屋城の戦い)で知られています。当時この城は大友氏の所領地であり、大友宗麟の家臣であった高橋紹運が城主でした。しかしながら当時九州の大部分を制圧し九州統一を目論む島津氏が岩屋城に攻め込みましたが、島津軍側に大損害が発生したとともに、大友氏に援軍を送った豊臣秀吉が島津氏を降伏させた九州平定にとても関わりの深い城になります。岩屋城の戦いは1586年(天正14年)7月4日に始まったようです。高橋紹運の軍勢は3千程度で、そのうち岩屋城に籠城したのは763人あまりといわれています。対する島津軍は島津忠長などが率いる約3万人が岩屋城周辺に布陣しました。高橋紹運は当初から島津軍の降伏勧告をことごとく退け続け、7月14日ついに攻城戦が始まります。高橋紹運を始めとする討ち死に覚悟の家臣団は予想以上に手強いため、島津軍は大苦戦を強いられます。同月27日の落城時には高橋紹運が切腹し、残りの家臣団も降伏投降することなく命尽きるまで戦い抜き玉砕したと言われています。島津軍の戦死者及び負傷者の正確な数は不明ですが、一説には死傷者3千〜5千人と考えられているようです。数千人の兵を失い大きな痛手を負った島津軍は、軍勢の立て直しに時間がかかり、大友氏勢力下にある残りの宝満山城(紹運の次男・高橋統増が城主)や立花城(紹運の長男・立花宗茂が城主)の攻略にも向かうものの、完全に制圧できないまま豊臣氏の軍勢が九州入りした事で城攻めを中止し撤退。島津氏の野望は豊臣秀吉によって妨げられました。この高橋紹運らの命をかけた半月にもわたって続いた「岩屋城の戦い」があったからこそ島津氏悲願の九州統一は、結果的に間に合わず豊臣秀吉の九州平定が実現しました。その後の秀吉は関東の北条氏を攻め(小田原征伐)、天下統一することになります。現在の岩屋城跡には高橋紹運の子孫らが建てたとされる「嗚呼壮烈」の石碑があります。それは岩屋城で戦い抜いた763名が遂げた壮絶な最期を見事に具現化した碑なのでしょう。さらに城跡から南西方向数十メートル先に高橋紹運らの墓があります。この壮絶な歴史を知ってしまい何かを感じた方は、是非とも墓前で手を合わせてみてください。そのほか、城跡からの視界は180度以上ほどあり、眼下には太宰府市から大野城市まで見渡せますので日中の景色のみならず夜景も楽しめることでしょう。その際には懐中電灯などの照明が必要です。
本丸跡は開けており、南は筑後方面まで遠く見渡せる。今は住宅が広がり日常の生活が映る景色だが、当時はここを目指し北上する島津軍5万が押し寄せる様が映ったのだろう。それだけに、ここに残った紹運公と配下の城兵の壮烈な覚悟が忍ばれる。
☆四王寺山の中腹、南に突出した尾根筋の先端部に築城された岩屋城。筑前国の大友氏の拠点、岩屋城・立花山城・宝満城、島津勢20,000と城兵7百余名籠城し激戦を繰り広げた岩屋城、思いの外に狭い、本丸は北側に大きな土塁を設け南北約30m×東西約20m位で更に尾根筋に深い堀切(登城路と登ってきたT字路正面が堀切)、南側は一段低い所に腰曲輪が設けられてるだけで本丸からの眺望は良好、二の丸跡は西側の道路の向こう側で高橋紹運の墓があるところ、二の丸が島津勢との激戦地⚔️色々な想いを馳せられる城、小さい城址でも記憶に残る意味ある場所でした、来れて良かったです、本丸には「嗚呼壮烈岩屋城址」の石碑。
太宰府政庁跡近くの山の上にあります。都会からほど近い場所にこんなに見晴らしの良い場所があるっていいですね。高橋紹運公は歴史好きならたまらない戦国武将です。西国一の名将と謳われた立花宗茂の実父です。筑紫平野を見渡す山の上で押し寄せる島津軍約5万を前に逃亡や降伏などを拒否し、豊臣秀吉の援軍到着の時間をかせぐために768名の勇士で迎え討ち、玉砕されました。忠義に生きた名将の足跡を感じることができました。
大宰府政庁跡から40分程で登れる絶景スポット。
岩屋城跡と城主高橋紹運公墓へ高橋紹運は、戦国時代の名将。わずか700余名の兵で、島津軍の大軍を迎え撃った「岩屋城の戦い」での壮絶な最期が有名。島津軍からの降伏勧告に対し、「主家が盛んなるときは忠を尽くし、衰えたときに裏切るのは武士ではなく畜生の道である」といった趣旨の言葉を返し、拒絶したという徹底した忠義。約2週間にわたる激戦の末、紹運は櫓に登って自害し、守備隊全員が討死または自決したそうです。
高橋紹運公が散った城です。そもそもここを調べて見てる人=岩屋城の戦いを知ってる人なので、そっちの説明は不要ですね。山というか、ほんとに小さな小山です。小山の麓にあるホテルに泊まると、そこへ車を止めて徒歩で30分くらいで到着します。歩道は無いので注意して歩く必要があります。車だと道がグネグネなのでゆっくり進んで10分くらい掛かりそうです。その場合に駐車場は無いので、路肩にあるスペースに(自己責任で)停める感じでしょうか?案内に沿って登ると看板と景観が広がります。晴れてると大宰府の町が綺麗に見えて良いですね♪ここで763(南無三)人vs数万人の戦があったのかと思いを巡らせるのがホントに楽しかった。
高橋紹運の最後の地お墓もあります。思ったより低くてここでよく10日間も島津の攻撃を耐えたもんだと思いました。高橋紹運に力を使い果たした薩摩はその後の立花城は落とせずすごすごと薩摩に帰ってます。その後、根城坂で上方の兵にこてんぱんにやられ地方の一大名になってしまう。
| 名前 |
岩屋城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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太宰府天満宮近くのホテルから徒歩で行きました。所要時間は登り1時間、降りは35分くらいです。早朝に出掛けましたが灯りがなく、女性は明るい時間に行くべきだと思いました。車道しかない道をひたすら登る事になりますが、車はほとんど通りませんでした。最後、写真の石碑まではかなりの悪路ですので気を付けて登って下さい。763名の勇士達に思いをはせる場所です。