下山門駅から元寇防塁へ!
元寇防塁(生の松原地区)の特徴
歴史的な元寇防塁が、福岡の沿岸に広がります。
高校の日本史教科書に登場する貴重な存在です。
下山門駅からアクセス可能で、散策に最適です。
近くの駅から歩いて行きました。徒歩10分位かな?道を渡ると松の小径が現れて、とても雰囲気が良いです。防塁も説明書きがあり、これで守ったのかと、遥か昔に思いを馳せる事が出来ました。ぜひ防塁を見たら小径も散歩してみて欲しいです。
元・高麗軍が襲来した文永の役(1274年)の後、再びの襲来(弘安の役・1281年)に備えて築かれた防塁です。「元寇防塁」は大正時代の考古学者・中山平次郎の命名で、石築地(いしついじ)が本来の呼び名だそうです。約2.5kmにわたる防塁で、白砂と松原の境を防塁が縫うように走っています。こちらの生の松原地区の防塁は肥後国(熊本)の御家人が築造を担当したと言われています。「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」では、肥後国御家人・菊池武房(きくち たけふさ)が陣取る防塁の前を肥後国御家人・竹崎季長(たけざき すえなが)一行が行進する様子が描かれていますが、そこに描かれているのがこの生の松原の元寇防塁です。1281年に再度襲来した元・高麗軍は元寇防塁に阻まれ、博多の地に上陸することができませんでした。元軍は松浦近海などにも展開しましたが、長引く戦いの最中、暴風雨により、軍船の多くが沈没や損壊するなど大損害を被ったことから撤退したと言われています。その後防塁は管理されなくなり、時を経て福岡城築城の際には多くの石材が流用されたと伝わります。現在、防塁の一部が築造時の高さに復元されており、当時の様子をうかがう事が出来ます。
この防塁は高校の時の日本史の教科書にも載った歴史上元寇に対する防御策の代表ですが、こんな防塁を距離の長い福岡の沿岸に作るのは大変だったのではと思います。
こういった防塁がこの辺り一帯に延々と続いているのを想像しました。国境を感じることの少ない日本ですが、都市部でそういうことを感じることができるのはいいですね。 遠浅の砂浜です。
なんでしょ?地味にテンション上がるスポットです少しだけ再現されてるだけですが、後ろから見ると水平線より2mほど高くなってるのが分かりますこれによって迎え撃ったと思うと痺れますね近くに駐車場とトイレがあり、そこに駐車して訪れることができますフラッと立ち寄るにはアリですわざわざ行くとこでも無いです笑。
下山門駅から歩いて行きました。革靴スーツで赴いたので、やや歩きにくかったとはいえ、そこまで気にならず散策できました。近くには教科書で見たあの土塁があり、歴史の舞台に立っている実感が湧きました。海辺を見渡せば、元軍の船がここに襲来していたのかと、思いを馳せました。そのまま、海岸線を散歩しながら姪浜駅まで歩き、博多方面に戻りました。
| 名前 |
元寇防塁(生の松原地区) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
092-711-4666 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP |
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/cultural_properties/detail/34 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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車の通りが多い道から入ってすぐにこんなとこあるんだ!とびっくり。松林も素晴らしく、海も静かで本当に癒されました。あ〜向こうから元が攻めてきたらそりゃ昔の人はびっくりしたよなぁとか、人力で20キロの岩を積み上げるなんて昔の人はすごいなぁとか歴史に思いを馳せながら、のんびりできました。感謝✨️