沖積微高地の貴重な遺跡。
落川遺跡の特徴
落川遺跡は沖積微高地上に位置する貴重な史跡です。
昔の住居跡が身近に感じられる素晴らしい場所です。
多摩地区の台地や丘陵とは異なる独特の立地を持っています。
昔の住居跡が身近に感じられる場所です❗️
本遺跡は多摩地区に多く存在する台地、丘陵上の遺跡と異なり沖積微高地上に立地する稀有な遺跡 である。その沖積微高地上に四世紀末~五世紀初頭に集落形成が開始され、以降、十四世紀初頭にいたるまで連続的に集落が営まれている。 東方約300メートルに鎮座する武蔵一の宮、小野神社を中心とする小野郷に比定される地域に該当すると考えられる。また、『日本紀略』、延喜十七年に見える「小野牧」と関係する遺跡と推定されている。 発掘された遺構は竪穴建物跡、掘立柱建物跡、井戸跡、鍛冶炉、祭祀跡等である。 遺物では鎌、鍬、鋤などの農耕具、鉄鏃、刀装具、短刀などの武器類、馬具などが多量に出土しており、これらの遺構、遺物は武士集団の住居関係を解明する上で貴重な手がかりになるものと考えられる。 平成十八年三月一日 (東京都教育委員会)
遺跡なので遊具はありません。人もいません。
看板しかない遺跡。公園風ですが、人も見かけない不思議な場所でした。
7~9世紀の遺跡のある場所なのですが、管理がまったくされてません。遺跡保存のために上に敷かれたアスファルトには、遺跡の位置を時代ごとにペンキで色分けして示していた様ですが、経年劣化でほとんど剥がれています。説明版も色あせ文字を読むのも一苦労で、木製のベンチも朽ち果て座るのもままならず。遺跡としても公園としても死んでいます。地域の歴史を伝える事は直接利益にならない事業とは言え、余りにも酷いありさまです。
立て看板しかない。本当に遺跡?
説明板の文字が日焼けで飛んでしまって非常に読みにくい状態です。平日の昼間、いや日曜祝日でもわざわざここに訪れる人がいるとはとても思えません(実際人っ子一人いませんでした)。日野市の本気度も見えないし、立派な遺跡もこれでは役に立ちませんし可哀相です。
公園利用するならもっと方法を考えたほうがいいのでは?、殺風景です。
| 名前 |
落川遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
2.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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落川遺跡は、1977年(昭和52年)12月、都営落川住宅の建設工事中に発見さ れました。遺跡の範囲は、 隣接する多摩市にまで広がっており、その面積は約 750,000m以上と考えられます。多摩市側は、一の宮遺跡といい、両市にまたがっ た場合、落川一の宮遺跡と呼んでいます。落川遺跡の周辺は、多摩川や浅川により形成された自然堤防や沖積微高地が発 達しています。ここに住んだ人々は、たびたび起こる洪水や冠水に対しその地形 を生かし、高度な治水技術を駆使し、居住地・農地を確保して暮らしてきました。 都営住宅地内で発見された遺構には、竪穴建物約 500軒、掘立柱建物約100軒を 始め、井戸跡、鍛治炉跡、 溝跡、 畑跡などがあります。それらは、古墳時代から平安 時代にかけて営まれ、その変遷の過程は大変興味深いものです。出土遺物には、たくさんの土師器や須恵器、灰釉陶器、中国製の磁器などの土器 のほか、農具や武具、日常品をはじめとする豊富な鉄製品、木製品、石製品などさまざまなものがあります。このように、落川遺跡は東国を代表する古代の大規模で貴重な集落遺跡です。落川遺跡公園。