高麗家住宅で味わう歴史と桜。
高麗家住宅の特徴
高麗神社の神職が代々住んでいた古民家です。
江戸時代前期に建てられた国指定文化財の住宅です。
立派なしだれ桜があり、春の景観が楽しめます。
昔の茅葺き屋根の住宅です高麗神社を納めていた高麗家の住宅です。特段変わった感じはしませんでしたが百数十年昔の住宅です。
高麗神社の裏に佇む立派な家屋。重要文化財だそうです。しかも見学無料です。中に入ることはできませんが、外から覗き見ることは可能です。立派な茅葺き屋根の維持や現代まで家屋の状態を保つのに大変な労力がかかっているだろうと容易に想像出来ます。素朴ながらも優美な印象が有りました。
668年に唐・新羅に滅ぼされた高句麗の王族が朝廷より帰化が認められました。神社は、帰化した高句麗の王族の先祖が祀られています。境内隣接地には江戸時代初期に建てられた高麗家住宅があります。国の重要文化財に指定されています。
高麗神社の神職を努めてきた高麗氏の住居として使われていた高麗家住宅建築は17世紀後半(江戸時代前半)と推定され、古い間取り形式を遺している東日本の民家としては極めて貴重な建物。屋根は神社仏閣にも用いられる格式高い入母屋造り。桁行七間半、梁間五間のレイアウトは間口の割に奥が深い...
高麗神社神職の高麗(こま)氏(고마씨)住宅は江戸時代前期1600年代(17世紀)後半に建てられたらしい。高句麗(고구려)の高麗若光という王族の子孫の高麗(こま)氏が代々神職を務めていた。天智天皇の御世668年に高句麗などから逃れて来た人々(嘗て「帰化人」、現「渡来人」)やそれ以前から住んでいた朝鮮半島出身者が高麗郷などに集団移住し、若光王を祀った高麗神社がいまも存在している。
髙麗神社神職の、住居、すなわち髙麗王の子孫の住居ということになるのでしょう。また、髙麗王は、高句麗王族の一員とも目されており、その伝でいえは、髙麗王の末裔は、2000年以上の歴史を持つ、一族とも言えるかもしれません。※高句麗建国は、紀元前1世紀頃。
高麗神社で行われる桜花祭の祭典後、こちらで幻の茶屋「沖の屋」が開店し、狭山茶と和菓子のセット300円を頂きながらライトアップされた枝垂れ桜を鑑賞できる「夜桜会」の日に伺った。枝垂れ桜の巨木は圧巻。祭典の直後(2022年は16:30頃)は高麗神社で茶菓子の販売がアナウンスされるので、一斉に人が流れてきてかなり混雑していた。日が落ちた頃に行くのが良さそう。写真は夜桜会の開催前(14時頃)で住宅内の席には入れなかったが、屋外の長椅子では自由に休めた。駐車場にも十分な空きがあった。日高市の史跡探訪書によると、この住宅は江戸時代初期の重要民家として昭和46年に重要文化財に指定されたとある。高麗家は代々高麗神社の神職を務めた旧家である。住宅の建築は慶長年間(1596年〜1615年)と伝えられている。
2022年3月25日ここのしだれ桜は3分咲き位になっていました。ソメイヨシノより5日位早く咲く様です。今度の日曜日位から見頃になりそうです。
高麗神社の神職を努めてきた高麗家の住居として、使われていたものです。建築は17世紀後半(江戸時代前半)と推定され、東日本の民家の中では極めて古い建築です。入母屋造りで屋根は茅葺きで、桁行七間半(14.3メートル)、梁行五間(9.5メートル)をはかります。間取りは古四間取りという形式で、「奥座敷」、21畳の「表座敷」、「勝手」と「へや」、そして土間から成っています。国指定重要文化財です。
| 名前 |
高麗家住宅 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
042-989-1403 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 8:30~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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国指定重要文化財だそうで立派な藁葺き屋根で畳敷きのお家ですとてもきれいに保存されています中には入れませんが見学は無料です。