続日本百名城 佐土原城の魅力!
佐土原城跡の特徴
日向国主伊東家が築いた歴史ある城跡です。
続日本100名城の中でも特に重要な位置を占めています。
本丸に残る天守は日本最南端のものとして知られています。
ここも堀切、堀割がしっかり残された、良い山城です。大手道から回り、本丸の後は周回コースで中の道で降りてくるコースがおすすめ。伊東氏居城。
島津氏分家のお城。静かな山城なので、訪問者もそれ程多くないからか本丸までの経路に蜘蛛の巣が多数あります。本丸までの経路は細い道が続きます。過去の台風の影響もあり、一部訪問不可になっていました。かなり木々が多いので、数日雨が降っていなかったにも関わらずかなりぬかるむ道もあるので、注意が必要です。
出土文化財管理センター→中の道→あずまや→三層櫓跡→本丸というルートだと比較的まともな道があります(雨の翌日はぬかるみますが)
日向国主伊東家の居城跡で、伊東四十八城の1つとして都於郡城と並ぶ重要な城だったといわれています。戦国時代、伊東家の最盛期を築いた伊東義祐はここを本拠にしましたが、城内に京都風の豪邸を建て贅沢な生活を送り、領民に重税を課したため支持を失ったことが没落する契機になります。本丸跡までの道のりは大変険しく画像でも分かると思いますが、ほぼ獣道ですw
続日本100名城No.196日本最南端の天守が残る城です✨南北朝~室町前半、日向伊東氏の一族、田島氏がこの地に築城したといいます。その後、日向伊東氏本家が城を奪い佐土原と称しました。この城は天文六年(1537)に焼失しましたが、後に伊東義祐が再建し、「伊東四八城」の中心となりました。
山城へ行くとあちこちで台風の影響か?、土砂崩れで登城出来ないところに遭遇します。今回も大当たりで、本丸跡への登城は諦めかけましたが、迂回ルートがあり助かりました。リトライする場合は1,000km以上の移動が必要だからです。
続日本百名城の196番さどわらじょうと読む。伊東四十八城の一つ。江戸時代には佐土原藩の藩庁。14世紀半ばごろに田島城として建てられたのが始まりで江戸時代には島津氏が治めている。復元された二の丸御殿が見どころ。山については20分も有れば天守跡にたどり着ける。遺構として曲輪や本丸跡地があったのが分かる程度だが、赤色立体地図の看板が所々に立ててあり精力的な保護活動や観光案内の姿勢が感じ取れる。名城スタンプは二の丸御殿(土日)かすぐそばの道の駅(営業時間であればいつでも)にて押せます!
| 名前 |
佐土原城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0985-85-1178 |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP |
https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/culture/art/376870.html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
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佐土原城は国の史跡に指定されており、続日本百名城に認定されている。正直、この佐土原城が続日本百名城に認定され都於郡城がされていないのは疑問である。佐土原城は山麓部分は近世城郭、山上部分は中世城郭といった印象の城である。山上といっても比高60m程度なのですぐに登ることができる。30〜40分程度でひと回りできるだろう。山麓部分にあまり城らしさは残っていない。かつての二の丸に鶴松館という歴史資料館が建てられている。入館料無料である。山上部分もあまり広くなく郭の数も少ない。さらに台風被害によりまともに行けるのは本丸くらいである。見どころは日本最南端の天守台であろう。その他、堀切、虎口、土塁などの遺構を確認できる。山上部分では中世山城の雰囲気を感じることはできる。佐土原城は伊東四十八城のひとつであった。伊東氏分家の佐土原氏が城主であり、都於郡城に次ぐ伊東氏の拠点であった。その後、伊東氏は島津氏に敗れ佐土原城も島津氏の支配下に置かれる。江戸時代には佐土原藩の藩庁が置かれた。城主は佐土原島津氏。江戸時代前期に山上部分は放棄されたようである。明治3年に居城を広瀬城に移したため建造物などは全て破却された。佐土原城は中世城郭、近世城郭両方の要素を持つ城であるが、正直それほど迫力も特徴もないまあまあの城という印象であった。