建布都西宮神社の伝承を感じて。
建布都西宮神社の特徴
建布都西宮神社は、武甕槌神を祭神とする神社です。
合祀された祭神についての記録が重要視されています。
本殿向きなどは石碑での保存が求められています。
祭神 武甕槌神 、經津主神、事代主命。延喜式内社の「建布都神社」の論社の一つです。創建年代は不詳。拝殿前に立ってみると北斗七星が右側に綺麗に見ることが出来ました、奈良と違い星がすごく綺麗でした、午前3時40分であったので深夜の参拝はこれで最後にしましたここ郡地区は古来敬神崇祖の年あつく由緒ある建布都・西宮二社を奉賛護持して遠く祖先より伝えてその加護の下に住民は安居楽業の年月を過ごしてきました。ことし聖代平成12年・世紀2000年20世紀最後の年にあたり両社を奉斉合祀して建布都西宮神社の一社となし崇敬の心を新たにして永く後世に伝えんと願うものである。平成12年10月吉日氏子一同 社頭石碑より。
合祀するのは仕方がないかもしれないが、その前の元の場所や本殿向きなどの記録は石碑などでとどめておく必要がある。重要な歴史記録だから。
| 名前 |
建布都西宮神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
建布都西宮神社(たけふつにしみやじんじゃ)。徳島県阿波市土成町郡。式内社(小)建布都神社論社、旧村社。【祭神】武甕槌神 經津主神資料によると、創祀年代は不詳。鎮座地の地名「郡」は、かつての阿波郡の郡衙が置かれたとされることに由来する。もとは杉尾社とも呼ばれていた。室町時代には荒廃、領主原田大和守が社殿を修復したが、細川三好の兵乱、長宗我部の兵火にかかり、再び小祠に。安土桃山時代の天正14年(1586年)、太守家正が国内巡検の際、「この神は、いかなる神か」と聞いたところ、「武神だから八幡宮である」という答えがあったという。以後、北八幡宮とも呼ばれるようになった。以上は『阿波郡誌』による記載。現在の御祭神は、武甕槌神・経津主神であるから、武神であることは間違いない。ただ、社名から考えれば、御祭神は建布都神。『古事記』に武甕槌神の別名とある。また、奈良の石上神宮の御祭神と同じく、武甕槌神の帯びていた霊剣だという。『阿波誌』では「杉尾祠 亦郡村に在り土人或は曰く建布都祠是也」と記載している。江戸時代中期の享保2年(1717年)、社殿が再建された。享保10年(1725年)には拝殿を再興、享保18年(1733年)には本殿を再興しており、それらの棟札に「建布都神社神号」があって、これらが式内比定根拠。平成12年(2000年)、西宮神社と合併した。現在では、建布都神社・西宮神社や建布都西宮神社とも呼ばれ、表記される。西宮神社は、郡字西宮735に鎮座していたもので、中古、城主原田大和守孫四郎が出雲大社より事代主命の御分霊を勧請したと伝えられている。境内には、社日や、幕末の天保15年(1845年)の狛犬がある。現在は阿波市土成字田中の椙尾神社の兼務社だという。なお、式内社「建布都神社」の論社は他に、市場町香美郷社本に当社および式内同名神社があり、土成町成当に赤田神社、市場町香美八幡本の八幡神社、市場町犬墓の伊笠神社がある。とあります。